2009.08.12
災害時支援ボランティアは、大震災や大災害の時に自発的に参集することになっていますが、いつくるか分からない被害をまっているのではなく、平常時から訓練を重ねておくこと。活動する消防署管内の状況や地理を知っておくことは、重要だと思います。そして地域の方々に災害時支援ボランティアの存在をアピールしておくことも大切です。
そんな思いから蒲田消防ボランティアの会は、創設されたわけです。今年で7年目に入りましたが、ブログで報告させていただいていますが、それでもなかなか思うようにはいきません。
先日、某会合で某ソフトボール協会の役員の方々とお話しをする機会がありました。
私たちは、ソフトボールをする選手や役員の皆さんに是非、災害時支援ボランティアの存在を知ってもらいたい。
そしてソフトボールで鍛えた体と精神力、チームワークとリーダーシップを災害時に、私たちの仲間となって共に活動していただきた。と、お話ししました。
また、ソフトボール大会の救護所に医師や看護師の方がいれば、その方のお手伝い。
プロの方が不在ならば待機し、怪我人や急病人に対して救急車が到着するまでの間の応急救護を担当させてもらえないか。(応急手当普及員又は普通・上級救命講習認定者が、)それを対応をさせてもらえれば、大会役員もその分の人手を減らせます。そして当会は、災害時の対応を学ぶ実践的機会となることでしょう。
怪我や急病を学ぶ機会と言っても、それは真剣に安全に対応しなければいけません。だから、大会期間中無事故が一番ですが、もしもの時に迅速に対応できるようにできたら、災害時にも自信をもって活動ができるのではないでしょうか。
上記の協会さんは、検討してみるとの事でした。当会でも決議事項ではありませんが、今後の課題として役員会に提案していきます。
2009.08.11
今朝5時07分、静岡地方で震度6弱の地震がありました。私の自宅地域は、震度4でした。
二日前におきた震度4の地震の夢を見ているのかな・・・と、のんびりしていると大きな横揺れが続き、これは夢ではないぞ。と、飛び起き
固定してあるはずの小型タンスを押さえながら、もう片方の手でテレビのスイッチを入れました。
テレビの画面を見ながら、こんなことを思い出していました。
それは最近読んだ新聞の記事です。“ある観測データで2番目の長さを記録した。”という記事を読んだことを思い出していました。その観測記録2番目とは、『全国で震度5以上の地震が起きてから次の震度5以上の地震が来るまでの期間が観測史上2番目に入った。』と、いうことです。大きな地震がないのは、ありがたいです。でも、いつか必ずその記録を止める大きな地震が必ず起こるのですから、安心などしていられない。と、その記事には書いてありました。私もそう思っていました。今日の地震でその記録は、止まりました。
それから会社に着くまで考えたことがありました。それは災害時支援ボランティアは、震度6弱の地震が発生したときに自分の命と家族の安否が確認でき、自分の体に異変などなく災害時支援ボランティアとして活動できると判断した場合には、自発的に消防署に参集することになっています。
もし、我が家に震度4ではなく、震度6弱の地震が襲ってきたら私は消防署に参集するだろうか?
タンスもテレビも固定してある。幸いケガもせず命の危険もなかった。妻も無事だった。母は、関西の姉の家に遊びに行って不在。
さあ、災害時支援ボランティア参集用の服や靴、鞄は用意してある。
・・・・・・でも、私は中小企業の総務部長。
・・・会社は、どうなっているのか?社員の安否は?
・・・・取り敢えず今は、会社に行こうか?
・・・・それとも災害時支援ボランティアのコーディネータとして消防署に駆けつけボランティア本部を立ち上げるのに尽くすべきか?
「災害時支援ボランティアマニュアル」には、自分の命、家族の安否、周囲の人たちの安全。そして自発的に参集し活動できる体制が整ったら参集する。という感じです。それには義務も強制もありません。あくまでも自分の意志で参集すればいいのです。
災害の発生する季節や日時、今いる場所、今すべきことの状況。場面場面でいろいろな対応を考えておいたほうが、良いように思いました。
最後に思い出したのは、“脳はブドウ糖”の株式会社オガサワラの小笠原社長が、自社製品に添付している東京大学の目黒教授が考案されたものがあります。それは発災時に如何に行動すべきかをイメージトレーニングする“目黒巻き”というものです。
昨年、小笠原社長の“目黒巻き”講習会にて教わったことがあります。それを今後も、もっと真剣に学び何種類か作っておいて、次の大震災に如何に対応するかシミュレーションしておかなければいけない。と、強く思った次第です。