2009.11.30

糀谷地区一斉防災訓練 見学!

11月29日9時から大田区の糀谷地区10町会・自治会で一斉に防災訓練が実施されました。
昨年の防災公園を使用した総合防災訓練と違い、各町会自治会が単一で一斉に訓練を行いました。
10町会自治会のうち、本日は5町会を順に回って訓練を見学してきました。

各町会により訓練会場の広さや規模が違います。それに参加人数なども違います。ただ、“自分たちの町は自分たちで守ろう”。“大震災・災害時いは、公助は急には来てくれないので、自助・共助が大切だ!”・・・という思いが感じられる訓練でした。

見学させてくださいました各町会で、私が特に気になりました点を紹介します。

★西糀谷一丁目町会
←町内会館を煙ハウスとして使用。テントの煙ハウスと違い、臨場感がありました。

町内会館の煙ハウス内部写真→←内部は、段ボールで仕切られ順路はあるが、周囲に調度品があって
火災現場を避難しているような気がします。

←防火水槽に可搬式ポンプの吸管を入れています。(水を取りながら、人が落ちないように蓋をして囲いがしてあります。)



★西糀谷三丁目町会
C級可搬式ポンプ →         
  D級可搬式ポンプ→
              (旧式を買取整備して、町内の各地区の公園に配置し、災害時の火災に備えています。)

防災訓練会場には、お手製の大地震年表が貼られていた。

←上記の掲示板だけでなく、大地震の被害写真を首からさげ訓練会場内を回り、
訓練をする参加者に直接災害の教訓を語りかける係の方がいらっしゃいました。

★西糀谷四丁目町会
てんぷら火災消火訓練→←ボランティア担当N係長(右から二人目)が、説明。・・・「少量の水でも、火柱が上がる。決して油火災には慌てて水をかけないように!!」

女性ミニポンプ隊によるD級可搬式ポンプ操法→ 
(防火水槽使用時に人の落下を避けるために町会役員が手製で作った専用蓋。)

★東糀谷一・二町会、東糀谷三・四・五・六町会

(西糀谷1 → 4 → 3 → (2) → 東糀谷小学校へ。自宅が六郷地区なので土地勘が殆どなく大田区の地図と道行く方に教えていただきながら、自転車で糀谷の町を全力疾走してきました。 )
 ←こちらの町会は、9時から避難訓練、発災型訓練(発災対応型?)、東糀谷小学校で煙ハウスを体験後に体育館で防災ビデオを30分観賞。その後も訓練は続くようでした。この後、上記の西糀谷四丁目町会の油火災訓練を見学するため、猛ダッシュで戻りました。

このほかにも、町会独自の防災アイデアや訓練の仕方があり学ぶことの多い有意義な見学でした。今後、災害時支援ボランティアとして参加出来ない場合でも、出来るかり各地の防災訓練を見学して、多くの智恵を学び活かしていきたいと思います。
本日突然、お邪魔させてくださいました各町会の役員と住民の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。

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昨年の合同防災訓練では、消防署のほか消防団、警察署、大田区、自衛隊、ライフライン関係会社などが展示訓練を行いました。災害時支援ボランティアも救助救出訓練をさせていただきました。また、地元の市民消火隊の方々が、一斉放水をされ、あいにくの雨の中でも、とても盛り上がりました。

ただ、一般住民にとっては如何だったのでしょうか。
これだけ多くの“公助”が、一同に介するような光景を間近でみれば、「大災害時に通常のように救急車や消防車が呼んでもすぐには助けに来れません。」「だから“自助・供助”が必要です。」と、言っても信じられるでしょうか。

各町会の役員さん方も、防災訓練の準備・進行・後片付けなど大変なご苦労をされています。
それに報いるためにも多くの町会内の住民に参加していただきたいと思います。

大災害では、同時多発的に火災やけが人が発生する可能性があります。消防署も消防団員も多くの“公助”の立場の人も同時に被災するのです。だから“公助”の体制が整うまでは、“自助”“共助”でその難局を乗り切らなければなりません。それが“自助”“共助”の必要性と必然性だと思います。

災害時支援ボランティアは、大地震大災害発生時に消防署の指示下で消防職員・消防団員の後方支援として現場に入ります。必ずどこかの町会のお手伝いをすると決まっているわけではありません。
それでも平常時から各種の防災訓練にお邪魔し、訓練のお手伝いをすることで町会の役員さんや地域の方に災害時支援ボランティをご理解いただきたいと思います。もし、災害時に私たちがその地域で活動する時、知らない他所者より顔見知りの方が、互いに協力しやすいと思います。それと同時に、地域の構造的特色や道順を知ることは、活動が迅速に進むと思います。

2009.11.25

父から最後に学んだこと!

父が、入院したのは平成5年12月31日でした。明けて平成6年1月9日父は他界しました。
大正13年生まれの父は、大学受験を二浪して、旧商船大学に入りました。中学高校時代の学友の多くは、戦場で亡くなりました。父は、2学年遅れていたので学徒出陣を免れましたが、学生時代は海軍特務少尉という階級が与えられ、いつでも戦場に行く覚悟の日々だったそうです。
戦後、父は商船大学を卒業し、日本有数の船舶会社に就職。主に外国航路の貨物船を担当しました。三等航海士から二、一と上がり船長になりました。「日本の国交のない国と海岸線の無い国以外は全部行った。」と、言っていました。50代で船を降り、港湾関係の仕事に就きました。退職後は、放送大学に入り69歳で亡くなりました。


父は、朝起きる梅干しと日本茶を口にしました。それ以外は、昼食から寝るまで焼酎を飲み続けていました。50代の時に胃潰瘍になり胃の2/3を取り除き、栄養が殆ど取れなくなりました。だから医者から「酒で栄養を取れ。」と言われたとかで晩年は殆ど酒ばかり飲んでいました。


そんな父の様子がおかしいと聞いて父の家に行きますと、意識の朦朧とした父が布団に横たわっていました。母と相談し、救急車を呼ぶと救急隊員から「何故、もっと早く病院に運ばなかった!」と叱られました。しかし、父は病院が嫌いで、何度言っても言うことを聞いてくれませんでした。
そして入院後一週間が過ぎようとしていた時、病室に付き添っていた母から「呼吸が止まった。」と、連絡が入り急いで病室に入りますと、ベットの上に隅に座って病院の食事をする父がいました。
父は、その食事を全て食べ終えると手を合わせ「何て、美味しいんだろう。こんなにおいしいものがあったんだ!」と笑顔で言いました。
そこへ医師が来て私に「もう一度、呼吸が止まれば回復の見込みは無いでしょう。ただそれが今あるのか。明日あるのか。一ヶ月後か。一年後か。それは分かりません。」と、言われました。


取り敢えず父の意識も戻り食事もしていますので、一度帰宅することにして病室を出ようとした時、ベットの片隅から母の叫び声が聞こえました。それは、父の急変を知らせるものでした。母は、私を病室に戻しナースセンターに駆け出して行きました。私はナースコールを何度も押しましたが、返事がありません。父は、両手を反らせて苦しそうでした。その当時の私は、背もたれ状態なっているベットを倒して気道確保をすることも知らず。心肺蘇生法も知りませんでした。どうすることも出来ない私にナースセンターから医師と看護師、そして母が戻ってくるのがとても長く感じました。


医師は、両手で胸部圧迫を開始。私は、看護師に病室の外に追い出されました。廊下から見ていますと、まるで映画のシーンを見るように病院用のAEDの黒いパットを手で何度も押しあてている医師の姿が見えました。私は、それを見ながらひたすら祈ることしか出来ませんでした。


その後、父は一週間昏睡状態を続け1月9日に肝不全で眠るように息を引き取りました。


父の亡くなった翌年の1月17日に阪神淡路大震災が起きました。その後、災害時支援ボランティアの募集があり、登録。最初のボランティア講習で初めて普通救命講習を修了。その後、何度か再講習を受講しました。その間、心肺蘇生法も何度か改正がありました。そして平成14年 蒲田消防署のボランティア有志が、「蒲田消防ボランティアの会」を立ち上げました。当会は、災害時支援ボランティアを広めるためと、一般の人に応急手当てなどを体験してもらうため、各地の防災訓練に消防職員と同行し、職員の指導補助などを繰り返してきました。


私は、三角巾や消火器などの説明は出来ても心肺蘇生法を任されますと、父に何も出来なかったあの日の事が思い出されて手が動かなくなりました。だから何らかの言い訳をしてその場を逃れてきました。理由を知る仲間から、励まされてもどうしても出来ませんでした。


そんな私に転機が訪れたのは、心肺蘇生法2005年ガイドラインでした。
従来の2000年ガイドラインにもAEDはありますが、それよりも蘇生の手間が簡素化され、出来る限り早く胸部圧迫を行い脳へ血液(酸素)を送ることの重要性を知りました。また簡単ではありますが、やり方を間違えれば効果がないことも理解できました。


もし、今また父と同じような状況に遭遇したならば、医師や看護師、救急隊員が来るまで気道確保と心肺蘇生法を実行することが出来ると思います。出来なければいけないと思います。それを父から私は、最後に学んだような気がします。


今週、親族の事情で命日より一カ月半ほど早い、父の十七回忌があります。


前回の十三回忌には、まだ心肺蘇生法の指導補助として説明したり実演することに躊躇いがありましたが、これからは多くの方にお話ししていきたいと思います。


近い将来、応急手当普及員になり、指導補助でなく、正式に指導が出来るようになりたいと思います。
 

2009.11.23

糀谷地区 大田区総合防災訓練:不参加決定!

残念ながら、11月29日の糀谷地区防災訓練に当会も参加する予定でいましたが、今回は諸般の事情で参加を中止することに決まりました。糀谷地区の防災訓練は、予定通り開催される予定です。お近くにお住まいの方は、是非ご参加ください。

2009.11.20

萩中地区 大田区総合防災訓練

11月22日(日)9時30分 
東京湾北部を震源としたマグネチュード7.3。
震度6強の地震が発生!


・・・・・という想定で訓練が始まります。

参加町会は、大田区の萩中町会周辺9町会(羽田大鳥居町会・羽田西町会・本羽田一丁目町会・本羽田二丁目町会・本羽田三丁目町会・本羽田三丁目都南自治会・萩中町会・オベールグランディオ萩中自治会・大鳥居中央町会)

発災対応型訓練 実施場所(5町会) 羽田西町会、本羽田一丁目町会、本羽田二丁目町会、萩中町会、オベールグランディオ萩中自治会

火災発生
三十数か所で火災発生。カーフライヤー(発煙筒)の煙を火災に見立て街頭消火器が何本集まるかで、消火の有無を判定します。また、そのうち三か所に消火ハウスを建て、実際に火を燃やし地元の市民消火隊の放水により消火します。

家屋倒壊
上記の某所4か所に家屋倒壊現場で瓦礫の下、住居内の閉じ込められた人を住民が手分けをして、救助します。

☆集合型防災訓練 別名、会場訓練。萩中公園野球場が会場です。三か所の出入口には、煙ハウスが設置され会場内に入るには、そこを通り抜けなければいけません。住民が行う訓練は、このほかに初期消火訓練として訓練用消火器と投てきパックゲームなどがあります。
このほかは主に見学と思いますが、防災機関(消防・警察)訓練、
災害対策協力団体連携訓練・ライフライン機関訓練、消防PRテント(家具転倒防止・住宅用火災警報器・応急手当)などがあります。野球場の外には、協力団体訓練車両展示、起震車なども設置されます。(蒲田消防署訓練説明書抜粋)


災害時支援ボランティアは、蒲田消防ボランティアの会から9名が参加。
発災対応型訓練では、負傷者や一般住民に扮します。
集合型防災訓練では、出入口の煙ハウスを担当します。

北は、環状八号線。南は、多摩川(六郷川)。東は、産業道路。西は、六郷地域の東側というかなり広い範囲です。
前回の東六郷一丁目町会の発災対応型訓練とは、広さも規模も違います。
この経験が、いつか来る大地震の対策になり、被害を最小限に抑えるヒントになることを期待して訓練に臨みます。

2009.11.14

蒲田消防協力会に入りました!

11月9日(月)~15日(日)まで『秋の火災予防運動』が実施されています。
 ←火災予防関係のポスターをマンションに貼りました。

上記のポスターは、蒲田消防協力会の会員に配布されたものです。消防関係団体にも配布されていると思います。
私は、今期より蒲田消防協力会の一般会員になりました。
この消防協力会は、主に事業所を中心に活動しています。この消防協力会の目的は、「本会は、会員・事業所等に対する防火防災知識の普及高揚と防災行動力の向上によって火災等の災害の未然防止並びに被害の軽減を図ることを目的とする。(蒲田消防協力会会則より)」

季節毎の火災や防災の予防運動があると、それに関係するポスターを消防署員の方が、届けてくださいます。今回も上記のポスターが届きました。でも、私は事業所でもないし、一軒家でもなく掲示場所に困っていました。
そこでマンションの理事会に相談すると、理事長が防災意識高揚に繋がるならと快諾してくれました。そこでマンションのポスト室前にズラーと並べました。自宅マンションには、すでに火災警報器が付いていますが、住宅用火災警報器のポスターも三枚貼りました。

『お知り合いの方でマンション・住宅に、まだ住宅用警報器を取り付けていないところがありましたら、勧めてください。』
と、書いておきました。

2009.11.11

大田区内初!発災対応型訓練!!

10月 4日(日) 東六郷一丁目町会では、大田区内では初めての「発災対応型訓練」を実施。

第1部 《発災対応型訓練》
これは従来の集合型訓練(学校の校庭や広場で、避難・通報・応急救護などの訓練を交代でする訓練)とは違います。
災害発生直後から如何に生き延び、如何に避難し、如何に助け合って消火・救助・救護・搬送をするかを極力実際の状況を再現し、その場の状況に応じた行動を瞬時に考え対応させる訓練です。
消防署の方は、「訓練会場に救助資材が準備されている訓練と違い、手ぶらで参加できる訓練。その場で、道具を調達する訓練。」 だと仰られていました。最低のルールとして、火災現場では、消火器を持参。実際には使用しないが、ホースを持って火(発煙筒)に15秒間向けられたら成功。そして火災発生から3分以内に3本集まれば、火災は鎮火などのルールがありました。集める消火器は、街頭消火器で自宅や店舗の消火器でもなんでも構いません。

 午前9時半 東京都全域で震度6弱以上の地震が発生!・・・・・消防車のサイレン、町会役員の拡声器により地震の発生を伝えた。

 間もなくして・・・住民が避難を開始。・・・・・・・・・・・町内3か所にて、火災発生!

 ・・・・・・避難者は、火災を発見。街頭消火器や自宅の消火器などを持ち寄り消火活動。

 火災現場には、けが人もいた。そこで応急手当をし、避難誘導をする。・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・通常の避難路が火災のためう回を余儀なくされます。その時、住民はどうすればよいでしょうか?

 ・・・・・・・避難途中で倒壊家屋を発見。近所の防災倉庫に救助資材と担架を取りにいくなど住民が力を合わせて救助。

要救助者は、救助後心肺停止状態になり、直ちにC.P.R.(心肺蘇生法)を施し、

その間AEDを取りに行ってもらい届き次第、AEDを使用。息が吹き返した時点で救護所へ担架搬送。

・・・・・・と、いう内容でした。

大田区で初めてとういことは、当然この町会でも初めてです。やったことがないので想像ができません。
避難する住民には、極力内容を教えず、臨機応変の対応を求め、失敗することで反省点や改善点を
次回や実際の災害に活かしていこう。・・・でも、従来の訓練以上に検討会と訓練を重ね役員中心の訓練に
仕上がってしまいました。    (私も参加していたので、残念ながら写真はありません。)


災害時支援ボランティアは、本日2名が参加。
発災対応型防災訓練時には、「避難路障害」と言って避難者に対し、通常の避難路が使用できない旨を話し、う回路を取るよう指示する係でした。


第2部 《集合訓練》 これは従来型の訓練です。
東六郷一丁目公園内で、煙ハウスの避難・119番通報・応急救護(AED)等の訓練。
消防署員による家具転倒防止の説明・住宅用火災警報器の説明などがありました。
その後は、市民消火隊によるC級可搬ポンプの操法を実演などがありました。

この集合訓練では、災害時支援ボランティアは、消防団員と応急救護訓練指導者として、C.P.R.(心肺蘇生法)とAEDの取扱を住民に対し指導しました。消防団員の指導の方は、「応急手当指導員」の方です。(下写真、奥。)


災害時支援ボランティアの指導者は、「応急手当普及員」。指導補助には、「上級救命講習修了者」の2名でした。
(上写真、オレンジ帽子)

災害時支援ボランティアは訓練参加時でも、その会場の行き帰り。或いは、その会場で災害に巻き込まれた場合に備えて
(訓練や指導補助では使用する可能性がなくても、)下記の応急手当用のボランティアバックを持参します。
 蒲田消防署管内では、11月22日(日) の大田区総合防災訓練で大型の発災対応型訓練を実施します。これは萩中公園を中心に、周囲の商店街や町会を巻き込んだ大掛かりな訓練になりそうです。災害時支援ボランティアも、蒲田消防ボランティアの会だけでなく、一般登録者にも消防署から声をかけ訓練に参加してもらう予定です。

発災対応型訓練は、通りすがりの人やあまり町会自治会の活動に参加するのが苦手な人でも、誰でも参加できる訓練です。

もし、大地震が発生した時、先ず自分の命、次に家族の命。体に支障がければ、周囲の人を助けましょう。自宅から火災が発生していなければ、隣近所は如何ですか。同時多発の火災に、消防署も手が回りません。その時は、小さい火災なら素人でも消火できます。
近所の人たちに声をかけて、消火しましょう。避難途中で、けが人を見つけたら声をかけて助けましょう。

テレビドラマや映画で見たシーンが、現実に起こるかもしれません。それを映像としてイメージしているとある程度は、どうしたら良いか思い浮かぶでしょう。でも、消火器を実際に持ってみる。使ってみる。(出来れば)消してみる。傷・やけど・骨折など三角巾の使い方はいろいろあります。三角巾がなくても代用出来るものもあります。担架搬送、テレビドラマでは二人で軽々運んでいますが、素人が二人で運ぶと腰を痛めます。出来る限り4人以上で運びましょう。一度4人で運ぶ方法を体験しておくとよいでしょう。
発災対応型訓練で、すべての訓練を体験できるかどうかは、運次第。いくつ体験できるかは、予測できないのがこの訓練です。

失敗を恐れず、それを反省し、検討し、次に活かす事。それが発災対応型訓練の目的と言えるでしょう。





                    

2009.11.02

大田区内消防団合同点検 報告

10月25日 『大田区内消防団合同点検』

大田区内の4署の消防団(田園調布・大森・矢口・蒲田)が、大田スタジアムにて、合同点検を実施しました。消防団のほかに、田園調布消防署管内の町会自治防災組織、市民消火隊のほか、4署の災害時支援ボランティアが、展示訓練に参加しました。

災害時支援ボランティアは、発災時消防署に参集するとヘルメット・ジャケット・救助用グローブが貸与されます。
←各署には、車輪の付いた救助工具格納箱が配備されてる。
                     救助チームは、現場までそれを引いていき、その場で必要な資機材を取り出し救助活動を実施。
←救護チームは、三角巾や包帯が詰まった救急バックを現場に持参します。
 ←4署のボランティアは、チーム単位で救助・救護・搬送を実施。
 ←歩ける人は、肩を貸して臨時救護所に搬送します。
〈←前列:大森消防署災害時支援ボランティアのみなさん。〉後列は、蒲田消防署の災害時支援ボランティアです。ほか2署のボランティアさんたちとも一緒に記念写真を撮りましょう。って、言っていましたが、時間の都合で撮り損ねてしまいました。(素顔掲載は、ご本人承諾済です。)

←展示訓練の仕上げは、4消防団と市民消火隊との一斉放水。



↑全体の解散後、蒲田消防団と一緒に、蒲田消防署長と蒲田消防団長のお言葉を賜りました。

集合時間、準備、予行演習までは、雨が降っていましたが、本番には雨は止みました。
各消防署のボランティアは、互いに良く知る仲なので待ち時間に情報交換などが出来ました。
どちらも災害時支援ボランティアの登録者の減少と、幽霊登録者に悩んでいました。
大森消防署のボランティアでは、チームリーダーとして“指示”が出来る人を育てることを始めたそうです。
当会が、実施している“リーダー養成訓練”と近いとも思います。互いの知恵を交換することで、より良いボランティア活動が出来るようになるのではないでしょうか。
矢口消防署のリーダーの方は、近いうちに抜き打ちで当会の訓練を見学に来てくださるとのことでした。
いつ来られても、恥をかかない訓練を心がけ、お待ちしたいと思います。
智恵の交換だけでなく、互いの訓練を見学し、共に訓練をすることも必要と思います。

それともう一点。個人の技術力は、かなり向上していると思いますが、集団での活動。リーダーがチームメンバーの特性を利用し、適材適所の配置を意識して、指示を下せれば無駄なのない救助・救護チームが出来るようになると思います。これは上記、大森消防署のボランティアが言われていることに近いと思います。
しかし、参集時のチーム編成だけでメンバーの適材適所を掴むのは無理です。そのためには、日頃訓練の積み重ねと親睦が必要になります。このほか、その人の特技や資格、趣味なども事前に教えあうことなども必要です。

今回の合同点検は、災害時支援ボランティアの人員は、各消防署から5名ずつと指示がありました。蒲田消防署を除く3署は、定員を確保。蒲田消防署は、ボランティアは4名。欠員分は、担当係長がボランティアに扮していました。上記の写真のどれかにその雄姿が写っています。探してみてください。

いつか“大田区内4消防署災害時支援ボランティア合同点検”が、出来ることを望みます。そのためには、幽霊登録者を減らし、志し高き登録者を増員する努力を惜しまないことと思います。