2011.03.25

3.19緊急夜間警備・・・市民消火隊

蒲消Yは、隣町某町会で3カ月に1度開催される防災会議に参加するようになって三年目に入りました。昨年の暮れには、防災会議で懇意にしてくださる市民消火隊の隊長や隊員にお願いして訓練を見学させてもらいましたimgp0379 imgp0392

 

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先日の防災会議後に次回の訓練は19日と伺っていたので、再度訓練の見学を願い出ていました。そして訓練当日、その消火隊新隊長より「今回は訓練ではなく、大震災直後なので『緊急町内夜間パトロール(夜警)』をするから、いらっしゃい。」と、お誘いをいただきました。

imgp0982 当日午後8時、集合場所の町内会館に伺うと既に殆どの隊員が来ていました。今回のパトロールでは、小型無線機を使用して感度や中継が出来るか否かを確認しながらパトロールをすることになりました。

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パトロールは、3~4名で1チーム。それを3チーム作り、町会の両隅と真ん中をほぼ同時に進みました。都度、無線機で位置を確認し、無線機の感度を確認しながら移動しました。途中、町内のほぼ中央に位置する神社に一旦集合しました。

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集合後、チームを再編、町内脇を流れる川の横道や商店街、裏道を抜けてパトロールは続けられました。約一時間、町内を巡回しました。

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この町の消火隊員のヘルメットは、消防署員や団員が被る本格派。ジャンバーの町会名は反射板。赤色灯?・強力懐中電灯は、消火隊専用。手袋も軍手とは違いプロ仕様。・・・『この町は、自分たちで守る!』の意識がとても高い町会市民消火隊です。

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町内会館に戻ってからは、大地震が発生した場合に消火隊として、どこに集合するか。どのような方法で町を守ることができるか。などを真剣な討論がなされました。

最後に隊員より蒲消ボYに対し、消防署の現在の様子を尋ねられたので、「蒲田消防署では、消防隊は、通常三部体制で運用されているが、東北関東大震災後一部は被災地に応援で出かけた。そのため現在二部体制になっている。当然火事を出さないにことが大切だが、もし火災が発生した場合は、地域の消防団や市民消火隊の協力は欠かせないと思う。」と、話しました。

 

2011.03.17

3月の夜間訓練は、『C.P.R.総合訓練』

定例『夜間訓練』は、通常通り3月17日木曜日、蒲田消防署にて開催致します。

訓練は、『C.P.R.』。内容は、総合訓練。

今年度のC.P.R.訓練では、訓練手順を声に出しながら行う訓練。

AEDがなかなか届かない場合を想定した訓練。

着衣が、脱がせないためAED添付品のハサミで、着衣を切り裂いてAEDを行う訓練。

感染防止のビニール手袋を装着してC.P.R.を実施する訓練などを実施しました。

さらに応用編では、複数で街を歩いている時に要救助者を発見、救命処置を行う実験的訓練も実施しました

 

今回は、その応用編をより総合的に行い、実際の現場で臨機応変に対応できるようにすることを目的とします。

日常生活において急病人を発見したときの対応。そしてC.P.R.が必要な場合の対処など。同行者がいる場合、そうで無い場合など。

◎例1:消防署の訓練終了後、仲間3人で歩いていると前方を歩いている人が、突然胸を押さえて転倒した。その時、その3人はどのように行動するべきか?

◎例2:友人と二人でファミレスにて食事をしていたら、突然隣の席の人が両手で喉を押さえて苦しみだした。その時、あなたはどうするか?

・・・など、いろいろなパターンを想定して訓練をしてみようと思います。
 

蒲田消防署では、東北・関東大震災の影響で3部制から2部制に体制が変わり、署員の皆様も大変お忙しい中、毎月欠かさず訓練を重ねてきた当会への信頼と絆が、今年度最後の訓練実施に繋がったと感謝しています。

(尚、出場などにより署員の指導が受けられない場合には、会員の応急手当普及員を中心にコーディネータ、リーダーが互いに指導する自主訓練に切り替えます。)
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★災害時支援ボランティア参集ルール(一部抜粋)
東京消防庁管轄下に震度6弱以上の地震が発生した際、参集できる方は自発的に東京消防庁管内の消防署に参集し、チームを編成後、消防活動の支援にあたります。

その他、震災以外の大規模な自然災害や事故が発生した場合の消防署の後方支援活動をお願いしています。

(東京消防庁災害時支援ボランティアHphttp://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-bousaika/sien/index.htmlより)

 

その時は、協力して日頃の訓練成果を発揮しましょう!

 

2011.03.17

報告:大地震、その時!⑤

『報告:大地震、その時!②』のSz氏より、東北・関東大震災当日の続編が届きました。・・・Sz氏は、某小学校給食を受託する会社の社長さんです。

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大田区内某小学校給食室
3/11 発災直後、校長が「ガスの使用を止めて元栓を閉めて」との指示があり、
午後の食器具洗浄を中断、30分後再開した。
シンク3槽の洗浄水は飛びはね、ドライ方式がウエット対応となった。
それ以外は被害はなかったが、12名の従事者は揺れの酷さと長さに恐怖感を持った。

残業となったが不平を言う者はいなかった。
パートの数人は家の事が心配だった様なので勤務時間内に帰宅させた。
夕方になり、校長より「残留児童と教員約100名におにぎりを提供したい」との要請。

快く、米とぎ、炊き、にぎる作業を社員3人のみで200個製造提供し喜ばれた。
気付くと社員3人とも、電車がストップし帰宅困難となり、校長の計らいで
休憩室にて毛布の提供を受け、不安ながら朝を迎え帰宅した。
校長先生に感謝!


以上、弊社で受託している学校給食の報告でした。

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蒲田消防ボランティアの会では、東北・関東大震災の直後とその後について報告を募集しています。あなたの経験や対応が、今後の教訓や対策に繋がります。災害時支援ボランティア以外の方でも構いません。また、今回の大地震に限らず、あなたの『大地震、その時!』を教えてください。

2011.03.14

報告:大地震、その時!④

Is氏(蒲消ボ会員)のブログに、地震発生から直後の対応などについて記載がありました。そこで本人の承諾を受けて、文章の前後を省略し当報告に関わりのある部分を抜粋し掲載致しました。

(Is氏のブログに興味のある方は、下記のアドレスをクリックしてください。)

http://blog.goo.ne.jp/isajigo/e/5c3f87011c899b43f18e4280fc61d46e

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   「14時過ぎ、職場のある鶴見から、営業の関係でスクーターで大田区に向かっていたところ、揺れに気付き路肩に停車。その後、立っていられない揺れに襲われた。車を止め、車から飛び出してくる方も多数。」

 「しばらく経つと、揺れもおさまり、家族の様子と、事務所の大家さんの奥さんが、現在で一人で暮らしていることもあり、安否確認へ。 家族は、外で、幼稚園のバスに息子のお迎えに行っており何事もなく、大家さんの奥さんに関しては、ご主人のお見舞いで病院に行っており、不在。また、同居している義妹からは、職場からバスを乗り継いで帰るとの電話があった。」

 「その後、スクーターで鶴見職場へいったん戻り、同僚の安否確認。ただ、全員が外回りをしており、携帯も通じないため、とりあえずメールの配信のみ済ませる。 大田区内で動いているスタッフもいるので、とりあえず、蒲田まで戻ろうとしたが、第二京浜が、徐々に渋滞を始め、通常なら20分もあれば六郷までもどれるのだが、結局1時間以上かかった。」

 「一人暮らしの方など、何人かの安否確認をし、災害時支援ボランティアの活動が必要か確認するため、蒲田消防署に向かうが、特に、現在のところ必要はなさそうだったので、その足で、帰宅困難者の状況を確認するためにJR蒲田の駅前へ。」

 「公衆電話やタクシー乗り場には長い行列、全ての電車が運行停止となる中で、多くの方は、駅ビルの中や銀行のATMコーナーで、電車の運転再開を待っていた。」

 「区役所へ電話をし、帰宅困難者の受け入れ状況を確認。携帯や固定電話が使えない中、情報ツールとして活用していたTwitterに、受け入れ施設の情報を書き込み。」

 「徐々に、区職員の一時受け入れ施設への誘導が始まったため、スクーターで地元を巡回しながら、被害状況の確認。」

 「とりあえず、現在、自分に出来ることはないと判断をし、帰宅。」

 

 「ここで初めてテレビでの情報を確認し、余りの被害の大きさに、言葉がありませんでした。」

 「その後、福島第一原子力発電所の問題などが発生。妻の実家は、この原発から10km圏内。避難を開始ししたのとの情報があり、現在も、避難生活を送っています。」
 

2011.03.14

報告:大地震、その時!③

ホテルにお勤めのMt氏より、11日の地震発生時から直後の様子と対応の報告が届きました!
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Mt氏「11日(金) 地震発生時 仕事場にいました。」

「エレベーター全台停止。 ボイラー緊急停止…*。」

「 てんてこ舞い!2次災害の恐れがあるので 至急ボイラー等の外観目視点検。 9階まで階段で行き 屋上に出て 屋上にある機械の外観目視点検等をしました。」

「 30分位にまた地震がきたので繰り返しました…ビビってました(笑)」

「 元々宿直勤務なのでその後は作業しながらちょくちょくテレビに釘付けです。」

「 避難経路も考えながらずっと気が張ってました…まだまだ余震が続いていまだに気が張ってます。」

2011.03.13

報告:大地震、その時!②

12日  (前日のやり取りは、『報告:大地震、その時!①』をご覧下さい。

8:00頃 事務局Kn、帰宅。

8:12 事務局Knより、会員に地震直前・直後の対応や感想をメールにて募集開始!

 

8:21 Kw氏 「ご苦労様でした。町内は無事でした。南蒲小学校は避難した方がいましたが、みんな帰宅し、児童たちは避難し、気を付けて皆さん避難することが出来ました。学校、保育園は大変良く訓練されていて、機敏に対応していました。大丈夫です。後で消防署に報告をしてきます。Kw」

 

12:39 Sm氏 「無事帰宅されたようで、なによりです。さきほど蒲田署に別用もあったためうかがってきました。やはり蒲田管内に大きな被害はないようです。ボランティアも来たとしてもやることは特段無いようです。緊急援助隊に人員を出した関係で、3部制を2部制に切り替えるんだそうです。(3チーム交代を2チーム交代に切り替える)」

「なんとも、こんな時に何ですが、Smの身の回りは至って普通であります。帰宅直後の地震発生でした。ただ、自宅付近の震度は5強ではなかったようです。自宅(普通の木造3階建)にも何にも被害はなく、ライフライン系も普通通りでした。ただ、家内が帰宅できない(無理には帰宅させなかった)状況でした。ただ、朝(4時過ぎ)に東京メトロと東急の終夜運転を確認し、いつもより大回りで帰宅しました。渋谷での乗換はやむを得ないとして、横浜駅手前で降りるようにして車で迎えに行きました(蒲田救急のSm次席と話しましたが、大きなターミナル駅を避けたのは正解のようでした。万一の際に混乱に巻き込まれかねないので…)」
「もう一つは、夕方前近くのコンビニに飛び込み少しでも調達、と思いました。幸い、若干のおにぎりやお弁当が残ってましたので、夕食と今朝の朝食はまかなえました。コンビニの前はたくさんの人が歩いてましたが、コンビニは混んでいませんでした。こんな風に先行きの見えないときは、早めの食糧確保も必要かと思いました。とりあえずの物が確保できれば、備蓄品に手を付けるのを遅らせることができます。幸い停電もありませんでしたが、情報源としてはラジオのほうがタイムリーのようです。」

「(勤め先の)空港に特段の被害はないようですが、夕方あたりにちょっと行ってみようと思ってます。」

 

14:33 Kw氏 「今、消防署に報告してきました。入口にボランティア書類と机、椅子が置いてありました。参集しなくて良かったのかな。Kw」

 

14:53  事務局Kn 「お疲れ様です。(災害時支援ボランティアの)参集のルールは、(蒲田消防署管内で)震度6弱以上(または大災害発生)ですから参集の必要はありません。ルールを知らない署員が混乱しているのでしょう。消防署の職員(参集)のルールは、震度5。それと勘違いされているのでは?」 「又、Smさんが蒲田消防署に別件で行きました。Myさんは羽田出張所に出向き待機しました。ほかにも参集した人が、いたかもしれません。でも、蒲田消防署管内では災害時支援ボランティアの必要はないので、帰宅させられていると思います。気にされることはないと思います。」

「今後、余震で震度6弱や蒲田消防署管内で大災害があれば、自主参集してください。私も今日と明日の午後は、自宅で待機しています。蒲消ボ Kn」

 

14:54 Kw氏 「了解!Kw」

 

15:13 事務局Knは、蒲田消防署災害時支援ボランティア担当Ym主任と羽田出張所Nk所長に、ボランティア参集ルール確認のメールを発信しました。

事務局Kn 「お疲れ様です。先ほど災害時支援ボランティアのKwさんが、別件で本署に伺いました。すると、署内にボランティアボックスと机、椅子があったと報告を受けました。」

「災害時支援ボランティア参集のルールは、震度6弱以上ですから参集の必要はないと心得、蒲消ボ所属のリーダー、コーディネーターは参集していないと思います。私は職場の都合で朝8時に帰宅致しました。」

「昨日、Myさんが羽田出張所に出向き、待機しました。本日、当会所属のSmさんが別件で消防署に伺っています。外にも参集した人が、いたかもしれません。」

「今後、余震で震度6弱や蒲田消防署管内で大災害があれば、自主参集致します。蒲田消防署も3部から2部体制に移行したと伺いました。ボランティアが必要な場合は、お声かけください。蒲消ボ Kn。」

 

15:50 羽田出張所 Nk所長より 「了解しました。緊急消防援助隊として東京消防庁の車両人員が宮城岩手に出場したことから2部編成で運用することになりました。蒲田本署のポンプ2隊も出場しました!」

 

17:51 Sz氏 「Knさま。無事帰宅のお知らせ、よかったとホッとしています。お疲れさまでした。」「昨日3/11(金)地震発生時は蒲田税務署で仕事をしておりました。すぐに静まると思っておりましたが、時折強く揺れ、申告客は中腰で周囲に両手で掴まっていました。」

「2Fにいた50人位は「地震だ」「長いね」「強いね」ととても不安な顔をしていました。署長・統括が「大丈夫でしたか」と安否を気遣ってくれました。エレベーターがストップなので階段を利用の案内もありました。室内は落下物や崩れた物はなかったです。気分が悪くなり吐き気のある人が3,4人いました。1Fに降り外へ出ると駐輪100台くらいの内、30台位が倒れていました。」

「帰宅途中外に出て外の様子を伺っている人や携帯電話をしている人も多くいました。あちこちから救急車やサイレンが聞こえていました。」

「自宅に帰るとまだ飾ってある7段ひな飾りの人形が落ちて散らばっていました。金魚の水槽の水もこぼれてフロアーを濡らしていましいた。テレビの上のCDも花瓶も飛び散っていました。お風呂の水もこぼれていました。」

「娘たちに安否のTELをしましたが繋がらず、嫁にするも繋がらず、固定電話にするとやっと話しができ、ひと安心。孫が世田谷の私立中学校へ遠距離通学のため、電車がストップで迎えの要請があり車で行きました。太い道路は大渋滞のため避け、神奈川方面への道路も避け学校に着きました。通常40分位だが、今回は3時間かかった。教室には帰宅できない生徒が1クラスに13名いた。帰途中、沿道には人が数珠つながりで歩道橋を渡る人も沢山の人人人。夜9時頃なのに徒歩帰宅であろう。飲食店、コンビニに、ファーストフードも満員の盛況振り、東名用賀入口は封鎖、解除を待つ車が繋がっているが、エンジンを止めライトも消していた。 Sz。」

 

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以上、3月11日~12日の間、蒲消ボ会員と事務局。消防署員とのやり取りと、地震直後の緊迫した様子の報告。感想などを掲載致しました。(個人名や個人的な内容は改名と一部省略致しました。)

今後も、会員だけでなく周辺の方々から、地震直後の行動や様子、感想を伺い、将来の対策や活動に活かして行きたいと思います。

 

今現在、余震が続いています。

今以上の被害の拡大がないことを祈念致します。

また、この大地震で被害に遭われ亡くなられた方々に衷心より哀悼の意を捧げます。

 


 

 


 

 




    
 

2011.03.13

報告:大地震、その時!①

蒲田消防ボランティアの会事務局では、当会会員に対し地震直前・直後の対応について、あるいは感想などの募集を3月12日8時から開始しました。それまでに届いたメールも掲載致します。これを教訓とし、今後の活動に活かしたいと思います。(本文は本名ですが、事務局で頭文字をアルファベットに変えました。文章は、メールの通りに写しました。但し「」と〔〕と・・・(省略)・・・は、事務局で挿入致しました。)

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11日 

14:46 地震発生 ゆったり右にグラ~、左にグラ~と続いたかと思っていると、今度はユサユサとなり、段々それが強くなり、防災館の起震車で経験したような音と揺れが続きました。頭によぎったのは、『ついに来たか!』

15:26 地震後、事務局Knは、当会役員11名に対し安否確認の一斉メールを発信。

15:35 Sm氏 「ありがとうございます。非番で自宅に帰ったところです。自宅にも被害はありません。状況を見ながら今後の動きを考えているところです。電車も動いておりませんし、バイクを出すのもためわらる状況ですので、少し困っています。」

16:00 My氏 「無事です!M。現在、羽田出張所で待機中。」

16:38 Kw氏 「お疲れ様です。町内は大丈夫です。学校は避難した方がいましたが、大丈夫です。Kw」

17:12 Mr氏 「Mrです。デパートも多少被害が有り(ガラスや壁にヒビが入るなど)飲食店街は営業を見合わせ中です。電車が止まっているので数名のお客様に店内で待機してもらっています。」 

18:57 My氏 「JRは本日中の運転を全て中止しました。気をつけてご帰宅ください!」

20:05 Sm氏 〔会社に泊まっている事務局を気遣って〕「その後、いかがですか?やっとネットがつながりました。(やっぱりもろいものですね。)本来なら徒歩でも駆けつけたいところですが、それほどむちゃくちゃな状況でもないようですし・・・(省略)・・・ちょっと距離があるので、これだけ余震が続くと出ていくのもためらわれます。(ざっと見て蒲田署まで、徒歩で問題がなければ4時間程度かかります。)とりあえず、Smは、人的・家的にも被害はありません。・・・(省略)・・・日頃の備えの大切さを痛感しています。」(Sm氏は、横浜在住)

20:45 Kw氏 「今日はこれからも余震が起きる可能性が予想されますので、気を付けて下さい。明日朝に再度町内会を巡回する予定です。お気をつけてください。Kw」

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2011.03.12

“東北・関東大地震” 直後から12時間後

★当会、事務局長Kの勤める会社の地震直後~12時間後の様子を報告します!

 

ca3b0733←社内の揺れに恐怖を感じて、外に飛び出した社員。沿道には、どうしてよいのか分からずに戸惑う人々が数多く見受けられた。

 

 

元々、道路沿線に会社があるので大型車が会社の前を通過するだけで、会社が揺れていました。私の部署は、会社の3階。一番揺れるところでした。だから、震度1~2でも直ぐ分かります。逆に多少の地震では、社員も驚きませんでした。しかし、今日の地震は激しい横揺れに船酔いしそうなぐらいでした

ca3b0731←階段室の壁に入った亀裂。                          

 

 3階の総務室で揺れを感じたとき、机や書籍ロッカーがある部屋より廊下のほうが何も無く安全だったので部下の女性と商談中のパソコン会社の営業マンを廊下に誘導しました。会議室で得意先と商談中の工場長も廊下に出てきたので、廊下に出るよう伝えました。1階2階は、工場になっています。揺れが収まると社内の社員の安否と安全確認。1階の大型救急バックを3階総務室に移動しました。でも、幸い負傷者は出ませんでした

ca3b0729←食堂のコップや茶器が棚から落ちで散乱!

 

勤め先は、川崎大師駅から徒歩10分程度、大師公園の南側(川中島)にあります。会社に一番近い地震計(中島)では、“東北・関東大地震”と名付けられたこの大地震で、震度5強を観測しました。地震直後から停電になり、非常灯がついていましたが、それも4時間ほどで切れ、日が沈むに連れて社内は真っ暗になりました。

 

真っ暗になる前に近所の100円ショップに工場長と女性社員2二人を連れて買い出しに行きました。レジスターも止まっているだろうと思い、会社の金庫から千円札と百円玉・五百円玉を一万円分それと釣銭の無いように10円玉・5円玉・一円玉を数枚持参しました。取り敢えず、社員18名とお客様2名が明日まで持ちこたえるだけの食料を購入。それと自転車用のライトも買いました。調度、パソコン会社の営業マンと商談中だったので、サーバの電源を落としてもらいました。

 

営業マンは、会社の車で自宅に帰り。得意先は、羽田から飛行機で帰りたいと言われたので、会社の車で空港に送り届けました。

 

食料購入後、社員全員を食堂に集め、工場長と私が社員の今後の行動について説明をしました。

工場長:「電車が全線不通。このままでは帰れないので、会社に泊まるのであれば食料は購入した。ライトとラジオもある。停電はしているが、幸い水とガスは出る。帰宅を希望する者は、申し出ること。」

私:「帰宅希望者は、工場長と私に必ず、申し出ること。」「寝る際には、防寒シートがあるので、それを使用すると良い。」

 

夕方が近づくにつれ、帰宅希望者が出てきました。

16時に千葉県津田沼市在住の者が、「バスを乗り継いで帰宅したい」と言ってきましたので、帰宅させました。17時を過ぎたところで、徒歩通勤圏の3名が退社しました。それから15分ほどして、女性2名男性1名が「横浜以西の自宅に帰宅したい。」と言ってきました。その当時は、JR/私鉄全線運行止めでしたが、「駅から歩いてでも帰宅したい。」というので、私が会社から社用車を運転して、川崎駅まで送り届けました。平常時なら10分程度の道のりが45分ほどかかりました。帰宅者には、先ほど購入した食料のうちパンを持たせてあげました。

 

不思議なことに、私の勤める会社の周辺一帯のみ停電しています。信号機も止まり、警察官の誘導で交差点を渡ります。公園の向こう側にある社長の住むマンションは、全戸電気がついているのに・・・。

 

 

社内の倉庫奥に保管してあった社員避難用の小型ライトとAMラジオ、防寒用ブランケットは、帰宅希望者に持たせました。また、会社に残る者も直に携帯でワンセグの見られない者などには、優先的に持たせました。会社泊まり組にも使用を勧めました。

 

総務室には、それ以外に各種電池に対応出来るラジオが備えてありましたので、それを社員に聞かせました。また、上記のライトとAMラジオ用に備品の単4と単3電池を全部出して社員に渡しました。また、社内の懐中電灯を三台集め、それ用の単1単2電池も食堂の一カ所に集めました。

 

19時近くになって、まだ社内に残っていた女性社員2名を会社近くの社長の自宅に工場長が連れて行き、避難させていただけるようお願いしました。

 

残った男性社員は、仕方がないので近所で酒を購入。23時頃まで“ヤケ酒”。私は禁酒なので、応接室の長椅子で仮眠。体力の温存に努めました。

 

23時半。急に社内が明るくなり、飛び起きて食堂に行くと、皆目をこすり「急に明るくなったので、キツイ!」と言いながら歓喜の声を上げました。そして誰とはなしに食堂の片づけが始まり、先ほどのやけ酒の後は消え元の食堂になりました。そして実家が盛岡の工場長が一人テレビに釘付けになっていました。私は、遅めの晩ご飯にカップ麺を食べました。

 

カップ麺を食べていると、階段室のほうから大きな声が聞こえてきました。すると二人の男が大笑いして入ってきました。それは私が、車で三人を送っている間に、帰宅した二人の男性です。この二人、川崎駅まで帰るためにバスに乗ったら、川崎駅行きは、無料だったそうです。それで駅まで行ったが帰れないので飲み屋で酒を飲み、ラーメン屋にハシゴしてたらふく食べて上機嫌で会社に帰ってきたそうです。ラーメン屋には、銀座から4時間徒歩で帰ってきた人がいらしたそうです。

 

23時45分頃、先ほど「歩いてでも帰る」と、言って帰宅した3人組の一人から電話があり、大和市の自宅に無事に着いた。と、電話がありました。停電が収まるまで、電話もかけられない状態でしたから電話が受けられたこと自体が、とても嬉しく。社員が無事に帰宅した。と、聞いてさらに感動しました。

 

0時8分。今日一日のことを、このブログに記録しようと思いました。デジカメで撮影した写真を会社のパソコンにメールしようとしたとき、先ほどの電話の3人組のリーダー格の女性社員から「主人(の車)に合流して、KさんとSさんを送り私も家に着きました。」と、メールが入っていました。

 

・・・5年前まで、当社は防災用品を揃えていました。帰宅者に持参させることができる食料。飲料水などもありましたが、その賞味期限が過ぎたときに社長に報告すると、次回の購入は不要と言われてしまいました。しかし本日、工場長はまだそれが残っていると思いそれを出すよう指示しましたが、そういう経緯ですでに無い旨を話しました。また、4年前。現在の社屋が出来た際に、社長は私に会社の防災関係一切から手を引くよう指示しました。よって当社は、防災に対する備えは、上記程度。それ以外は、簡易トイレ1台。最大25年持つ食料20食分(10年前購入)。各部に救急バック等各1個しかありません。今後、これ以上の被害が受けたとき、社員を守れる自信は持てません。そこで工場長から社長に再度、防災用品購入の予算を作るよう依頼しました。

 

 

 

今現在、余震が続いています。これ以上の被害が拡大しないことを祈念致します。

また、この大地震で被害に遭われ亡くなられた方々に衷心より哀悼の意を捧げます。