2012.02.06

AED救命の絆セミナー 第一部

2月2日(木) AEDメーカー“フクダ電子㈱”で開催された『AED救命の絆セミナー』に参加しました。http://www.fukuda.co.jp/aed/aed_event.html

 

第一部 講演:東京ハートセンター センター長 南淵明宏医師

AEDの話の前に、救命に関わる医師にも色々な人がいるという話から始まって、各種心臓病の話とその手術についてのお話がありました。難しい手術の映像や世界でも数少ない高性能カメラで撮影された手術映像。開腹シーンや細い血管を糸で繋げるシーン。3月11日の手術中に発生した東日本大震災。徐々に強くなる揺れの中でも手を休めず黙々と動かされる医師の手。照明のライトが消えかかる中も手術は、続けられていました。その後、手術は成功。手術を受けた患者さんは、全身麻酔だったので大震災が遭ったことすら知らなかったそうです。

 

手術中の映像ですから、当然真っ赤な動脈の血液が、溢れ出てくるシーンが沢山ありました。心臓の周りには、誰でも黄色の脂肪がとりまいているそうです。それを取り除くシーン。血液を人工心臓に切り替え、心臓を止め心臓にメスをいれたり、糸で塞いだり。細い血管を針と糸で裁縫をするようにして繋げたり、鮮やかな手の動きに驚きと感動が繰り返されます。・・・しかし、会場の一番前の席に座って講演を拝聴する私は、その数々のシーンを大画面で見て何度も気が遠のくのを抑え、気絶しそうな自分に言い聞かせながら我慢していました。

 

その後、南淵先生の“症状が無くても病気になる” “突然死ぬことがある” “症状と病気は関係ない” “心筋梗塞は誰でもなる” “原因も理由もなく、人は死ぬ”など、ほかにも今までの常識がどれも間違った認識であると先生は説かれました。

さらに仏教の“悟り”やギリシャの哲学てきな話に及びました。

 

そして“心室細動=心停止→死。AEDでは、この心室細動を元に戻らせることができるます(AEDで心室細動を治すことはできない)”

 

“胸骨圧迫で骨が折れる可能性はあるが、折れても助けて良いことになっている。それは緊急避難的発想で、正当化されている。” “だから心臓が止まった人を見かけたら、直ちに胸骨圧迫とAEDを躊躇無くできるようにしてください。”

・・・講演は、以上のような内容でした。

 

(初めは、手術シーンの迫力と、大量の“血液” に驚きました。でも、先生のように毎日 “死” と戦っている方がいて下さるからこそ、私たちは、いつかどこかで誰かに胸骨圧迫とAEDをさせてもらう機会があっても安心して施せると思います。そして救急車に引き継ぎ、さらには病院の医師に引き継がれることを切に願います。) 



第二部は、簡易救命講習 “PUSH講習会”でした。次回は、その様子を報告します。

2012.01.31

地域防災関係者の苦悩・・・

3.11以降、多数の町内会・自治会のなど地域防災の関係者は、混乱と苦悩を抱えていらっしゃいます。

蒲消ボYは、地域防災に関わる各種会合で、いくつかの町内会・自治会の防災部長・防火部長の方々とお話しする機会がありました。その話の中で、特徴的なのことがあります。それは3.11以降、地域防災の考え方が、大きく二つに分かれたことです。

 

一つは、『発災害時に出来る限りのことをしよう。』と前向きな考え方。もう一つは、『もう何をやっても無駄。津波の前では、(今までの防災訓練など)何も役に立たない。』という悲観的な考え方でした。

 

『発災時に出来る限りのことをしよう。』・・・今までの防災訓練は、集合型訓練(注1)と言われるものが大半を占めました。しかし、徐々に発災対応型訓練(注2)に変更するところが増えています。訓練以外では、町の危険箇所を調べる。避難誘導路を検証する。津波時の一時避難場所にマンションや工場などと提携する。通常の災害(交通事故や急病など)にも対応できる救急法や応急手当の講習会を実施する。市民消火隊だけが担当していた可搬式消火ポンプを町会役員や地域住民にも体験させるなど。防災意識が高まっているこのときに、地域住民を巻き込んで防災減災に強い町作りをしていこうという動きです。

 

『もう何をやっても無駄。津波の前では、(今までの防災訓練など)何も役に立たない。』・・・3月11日の東日本大震災ニュースを見て。或いは、実際に現地に足を踏み入れ現場を見てこられた方々が、(自然の猛威)津波の流れに人も家も車もありとあらゆるものが流される様子を見聞きされました。・・・・「こんな状況では、従来の防災訓練なんて何の役にも立たない。津波がきたら、この町に逃げる所なんてない。」「今までと違う防災マニュアルを(行政か消防が)作ってくれ。」「自分たちは町内会だろって言われても、防災の素人に何ができるか?」という絶望的悲観論的な動きです。

 

 

消防署では、東京湾の構造上3.11のような巨大な津波は来ないと言っています。例え津波が到達したとしても、何もかも流されてしまうような被害は無いでしょう。それでも想定外はあるかも知れません。その時に慌てずに対応するため、行政や消防も検証し行動しています。私たちも諦めず、その時のため今出来ること準備していきましょう。諦めず、まず今までの考え方を検証しましょう。そして良いところは伸ばし、足りないところは補って行きましょう。みんなで知恵を出し合いましょう。楽観は出来ませんが、悲観せず被害を最小限に抑え、元の生活を極力早く取り戻せるようにしましょう。

 

今、ショックで悲観的な考えの某町内会・自治会の役員さん。役員さんのプレッシャーは、計り知れないと思います。それでも地域住民より、地域の事を考え。地域住民の安全安心を導いてきた役員さんは、地域住民の頼りです。今まで地域防災や町会行事に参加してこなかった人たちも、防災の関心は高まっています。彼らの意見も取り入れて、より良い町作りをするチャンスと捉えてください。4年間で70%と言われる直下型地震。発災時は、もの凄く揺れるでしょう。しかし、これだって、発災直後の対応の仕方で、想定よりも少なく抑えることも可能です。今までの防災計画の活かせるところと、足りないところ。補えるところを検証して、直下型も恐れない町作りをしていきましょう。

 

地震発災時に家屋内の家具転倒で死亡しないように準備しましょう。発災時には火を消す行動はせず、揺れが収まっても火災が発生していたら、落ち着いて火を消しましょう。地震発生時に死亡せず、怪我をしなければ助かる可能性は高まります。この後(発災直後)の災害は、自然災害ではありません。事前に用意さえしておけば、防げる災害(人的災害)です。この発災後の災害を防ぐには、災害が起こる前の町作りにかかっていると思います。家具転倒防止の呼びかけ。倒壊の可能性のある家屋には、行政から支援してもらうように働きかける。燃えやすい物を置かせない。倒れやすい塀や壁を作らない。消火栓の上に車を駐車させない。中小企業には、町ぐるみで防災協議に参加さえる。避難路は、倒壊しそうな塀や壁を避ける。日頃の防災訓練を体験させるなど、今までの防災で訓練である程度まかなえます。それにもう少し、その町にあった防災減災の取り組みをすれば良いと思います。どうか、直下型地震でも被害の少ない町が出来ることを切に願います。

 

 (注1):町内の大きな公園等に避難して、その公園内で通報・消火・救助・救命・救護などを順番に体験或いは見学していく訓練。

(注2):突然の災害に地域が如何に対応し、災害を最小限に抑えるかを検証する訓練。

2012.01.16

年賀メールをいただきました!

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         『あけましておめでとうございます。
          本年もよろしくお願いします。
          年賀状をいただきありがとうございます。』

                  『本年ボランティア活動がんばって下さい。
                  私もなんとか、ハイパーでがんばっております。
                  本年は平和な年であることを、お祈り申し上げます。』

 

上記写真の方は、当会設立の翌年(平成15年)頃から約数年間蒲田消防署警防課防災係で災害時支援ボランティアを担当された(当時主任の)Sk司令補。担当を交代された後、六郷出張所中隊長などを歴任し現在は、第八消防本部ハイパーレスキュー隊隊長として活躍されています。

 

担当を交代後も災害時支援ボランティアの良き理解者であります。

そして当会の友人であり、当ブログの愛読者でもあります。

(上記の写真とご挨拶文は、正月に第八方面本部へ送った年賀状への返信メールです。)

2011.12.05

被災したら、参集せずに活動開始!

・・・Yの独り言・・・

災害時支援ボランティアは、震度6弱で都内の最寄り消防署へ自主参集する事になっています。
自主参集した人たちがボランティア本部を立ち上げ、活動チームを編成し、署隊本部の指示下で活動を行います。

以前は、何が何でも署或いは分署か出張所に“参集ありき”でした。

 

しかし、消防署の指導が変わってきました。発災後、自分に異常が無ければ直ちに被災した現場で活動し、現場が落ち着いたら、情報収集をしながら署等に参集するようにしてください。」と、署長をはじめ担当部署の方々がそのように言われました。


 
現場では、災害時支援ボランティアとして、当然チーム活動は出来ません。一人で活動する事になります。
 しかし、果たして一人でしょうか?
周囲に一般人がいたら、その人達に声をかけ、その人達を巻き込んでチームを作り、そのリーダーとして活動をし、発災時の初動を遺憾なく発揮する事を求めています。

私達、災害時支援ボランティアの一部は、消防学校にてリーダー講習、コーディネーター講習を受講しています。それ以外の人は、所属の消防署でボランティア講習という基礎的な訓練を受けます。
 
基礎訓練の繰り返しは、応用を容易にします。しかし、初対面の人に身分を明かし初対面の人に話しかけ、今何が必要か。今何をすべきか。を明確に話して協力を求める事が、その場でいきなり出来るでしょうか。被災場所が自宅なら、近所の人に声をかけることが出来るでしょう。でも、仕事や行楽で出かけた道端で被災し、誰かを助けなければ行けない現場にいたら、見知らぬ人に協力を求められるでしょうか?
 
心肺蘇生訓練時に周囲の人に通報やAEDを持ってきてもらうようお願いをします。

・・・このような状況を想定して訓練をしていませんから、初めは戸惑うでしょう。

例えば、現状を把握して、大きな声でハッキリと周囲の人に状況を話して、協力を求める。自分が災害時支援ボランティアであること。自分には何ができ、何が出来ないかを話して協力を求めたい。旨を話して協力を求める。・・・そんな訓練したこともありません。マニュアルもありません。今後、色々な方法を検討すべきです。
 

それと現場にあるものだけを使って臨機応変に対応できる知恵と知識を身につけるべきだと思います。
家具や柱の倒壊で足や体を挟まれ、一刻の猶予も許されない。素手では手に負えない。消防署へ行けば機材はあるが、消防署へ行く時間はない。さあ、どうする?

・・・近くの車に常備携帯されているジャッキを借りてくるとか。何には、何が応用出来るかを工夫し、数多くの体験をすることが大切だろう。

道具や機材があればどのように使うのか?なければ、何を活かしたら代わりに使えるか?
 
骨折した足を固定したい。三角巾があればどのように使うのか?なければ、何を活かしたら代わりに使えるか?日々の訓練で使用する物。訓練で使用する物が、ない場合には、何を代用すればよいか。日々考えておきたい。

 

まずは、大声で話す訓練から始めようか!・・・・・・・・・私は大声だから、それはいいか? 

2011.10.22

蒲消ボYの休日の過ごし方!

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10月16日 午前中某所で大掛かりな私的行事を終わらせ、某先生を東京駅まで車で送りホッとしていたところへ、災害時支援ボランティア仲間のIsさんから電話ありました。

「消費者生活センターの(第39回)大田区生活展に見学に行ったら、蒲田消防署のコーナーがありました。」「すると羽田出張所のN所長(元ボランティア担当係長)が、手伝っていました。」とのこと。いつもお世話になっているN所長が会場を手伝っているなら、今から見学に行こうと思い、車を蒲田駅に向けて走らせました。

 

蒲田駅前図書館のある建物1階が、大田区立消費生活センターです。その入口すぐに『消防PRコーナー』が設置され、消防職員の方2名とN所長がいらっしゃいました。

imgp1697消防・防災のゲーム機や子供用防火着が用意され、住宅用火災警報機を説明する精密な住宅の模型などがありました。

その横には、消防団募集幟に並んで、災害時支援ボランティア募集の幟も置かれていました。

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私が到着して30分ほどの間に、見学の子供に防火着を着せてあげる手伝いなどをしていたら終了時間がきてしまいました。imgp1698

imgp1699←片づけを手伝って帰宅しました。

 

・・・災害時支援ボランティアは、消防署のお客ではありません。手伝えるときには、進んでお手伝いなどをして消防職員の方々とコミュニケーションを高めておくことも大切と私は思っています。

2011.06.29

蒲田防災メールマガジンvol.143

「蒲田防災メールマガジンvol.143」より

『ゴミ集積所から火災発生!』

「6月23日(木)12時頃、マンションゴミ集積所のゴミが燃え、壁体が焼ける火災が発生しました。」

・・・上記の記事に記載されたゴミ集積所のあるマンションは、蒲消ボYの住むマンションです。火災の原因は不明ですが、ゴミの収集が終了した後に出されたゴミにたばこの不始末による火が、引火したようです。

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 私は、勤め先にいました。携帯電話に慌て叫ぶ妻の声がありました。私はこのマンションの防火管理者なので、直ぐにでも飛んで帰りたいところでしたが、そうも行来ませんでした。それならとマンション管理組合の理事長の携帯電話の留守電に妻からの話を伝えるのが、精一杯でした。

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13時過ぎに、その理事長から電話がありました。『最初に火災を発見した人が、消火器で消してくれた。その後、10分ぐらいしたら再び燃え上がった。・・・たまたま用事があって帰宅しようとマンションを通りかかった私(理事長)が、近くにあったタライに水を汲んで消火をした。その火災の煙は凄く辺りにモウモウと上がった。なかなか火は消えず近所の人が消防署に通報。その結果、消防車など関係車両が7~8台マンション前に到着した』(上記の写真は、妻に頼んで写してもらいました。)

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ご近所の皆様には、ご迷惑とご心配をおかけ致しましたこと、住民の一人として心よりお詫び申し上げます。

◎ゴミの集積所では、ゴミを出す時間やルールを守りましょう。

◎風の強い日の喫煙は、屋内の定められたところで吸いましょう。歩きたばこなどは、大変危険なのでやめましょう。また、ポイ捨ては、絶対にしないでください。

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蒲田防災メールマガジンについて、下記のホームページアドレスをクリックされますと、蒲田消防署ホームページ、蒲田防災メールマガジンの紹介ページにリンクします。

http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-kamata/merumaga/merumaga.html

2011.06.16

南さつま市消防団!

鹿児島へ旅行中、南さつま市消防団の方と知り合いました。飲食店を経営されている方で、お店の扉を開けると左手に消防法被と消防団員制服が掛けてありました。それは、火災の知らせが入ると、店から直ぐ消防団詰所に駆けつけ、消防車を走らせるために掛けてあるとのことでした。 imgp1168

 

6月3~6日 鹿児島に75歳の母親と旅行に行ってきました。その旅行の目的は、母の父(私の祖父)の生まれ故郷、坊津(現:南さつま市坊津町)をもう一度見に行くことでした。・・・『もう一度』とは、母は65年前小学3年生だった昭和20年の4月に母親と兄弟5人で坊津に疎開しました。(当時、父親と20歳の姉。10代後半の兄姉は、東京に残りました。)

母は、以前戦争中の思い出を小冊子に投稿したことがあります。それによると鹿児島での思い出は、機銃掃射と艦砲射撃。きれいな海の記憶はなく、ひたすら逃げた山の中での暗い思い出しかなかったそうです。しかし、60年の歳月が流れ、写真やテレビで見る坊津の美しい海や町並み、歴史的な風土。そして父親の故郷である坊津をもう一度訪ねてみたいという思いが、近年湧いてきたそうです。

・・・宿泊先の鹿児島市内からレンタカーで2時間ほど南下して坊津へ、昼を過ぎていたので食事をする場所を探していると、海岸に面した和洋菓子屋さんで近くのお店を紹介してくださいました。そのお店は、昼間は食堂。夜は居酒屋を経営されていました。

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今朝獲れた 新鮮な『ハガツオ刺(右上)』『シイラフライ(左上)』『ハガツオの昆布巻き』『ハガツオの味噌汁』の定食850円。さらにアイスコーヒーをご馳走してくださいました。どれも新鮮。お味は、格別に美味しく。そして価格の安さに驚くばかりでした。お店の方の優しい言葉遣いに会話も弾みました。

そのお店のブログ→http://plaza.rakuten.co.jp/syouhati0605/diary/201106050000/

お店の方が、母の疎開の話を詳しく聞いてくださいました。そして地域の地図を出してきて、母の思い出探しを手伝って下さいました。その優しさに母は感謝しました。そして母の旅行の目的は、ここでほぼ達成致しました。

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話が途切れた時、私は店の入り口にかけてあった消防法衣に目がいきました。この店の方は、消防団入団9年目。現在、消防団消防車の機関員(運転士)をされています。この翌日、南さつま市では消防団操法大会があり、明日は所属する団の応援に行かれるとの事でした。ちょうど、ここに来る1時間ほど前、途中の公園のグランドらしきところに消防団の大きな水槽と火点(操法の標的)各2台、周りにはテントが沢山準備されているところを通って来たばかりでした。 

 

消防法衣とは、普通の法被と違い両手で持っても「重たい!」と、感じるほどでした。これは防火服ほど火に強くはありませんが、少しばかりの火には耐えるようにできているそうです。一度火災の知らせが入ると、すぐ消防団の作業服、ジャンバーそしてこの消防法被を着用して消防団詰所へ走り出すそうです。

坊津は、海岸線から高台も多く、高いところで火災があると低地の防火水槽から水をくみ上げ、途中に可搬ポンプを中継して放水をすることもあるそうです。(余程の大火災で無い限り、海の水は使用しません。それは海水を使用すると後でエンジンに影響が出ます。その後の手入れに手間取るので海水の使用は極力避けるそうです。)

当然、火災時には地元の消防署の消防隊よりも早く現場に到着し放水を開始、その後到着する消防隊と協力して放水活動を継続されるそうです。

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母と一緒に疎開していた兄の記憶では、坊津に疎開した日は、4月上旬。

・・・母が坊津で艦砲射撃だと思って山中に逃げ込んだ時に聞いたあの砲声は?

 

坊ノ岬沖90海里で『戦艦大和』が、米軍航空隊の攻撃により撃沈されました。その日は、昭和20年4月7日。

・・・・・母の聞いた艦砲射撃と思ったあの砲声は、戦艦大和の主砲発射音だったようです。

2011.02.08

第6回全国防災まちづくりフォーラム

内閣府・防災推進協議会が主催する『第6回全国防災まちづくりフォーラム』が、今年1月30日「有明の丘基幹的広域防災拠点施設」にて開催されました。

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この防災まちづくりフォーラムで、蒲田消防署管内の『大森中・蒲田・糀谷地区防災まちづくりの会(さんかく隊)』が活動成果の報告を発表しました。

この団体(以下、『さんかく隊』)に昨年暮れ入会が許され、同会会員(さんかく隊隊員)として同行させてもらいました。(下記写真で、緑色の上着を着用しているのが、“さんかく隊”隊員)imgp0855 

さんかく隊とは、東京都大田区の 第一京浜国道(国道15号線)・産業道路・環状8号線に囲まれた三角形のエリア内(大森中・蒲田・糀谷地区)にあり、この三角地帯に暮らす人々が防災まちづくりに参画することから、“さんかく隊”という愛称がつきました。

imgp08561 imgp08681 蒲田消防署災害時支援ボランティア コーディネータのYは、平常時から地域防災に関るには、地域防災に力を注ぐ地域に赴き、活動の様子を見て学びたいと思っていました。

その後、さんかく隊の事を知り一度見学したいと思っていましたが、居住する地域が違うため、近づく方法すら分かりませんでした。・・・それが昨年、知人の紹介で見学が許されました。見学をするうちに、単に見るだけでなく、その活動の運営を手伝わせていただいくことにより、実際の活動や苦悩を肌で体得したいと思うようになり、入会させていただきました。将来的には、ここで学んだ経験や知識を他の地域に提供していければ良いと思うようになりました。

入会して間もない私にとって今回のフォーラムは、会の活動を知る。とてもよい機会になりました。

(下の写真3枚は、他団体の活動紹介コーナーです。)

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全国防災フォーラムは、さんかく隊のほか7団体が発表。町会・自治会或いはマンションの自主防災組織や耐震補強推進協議会。NPOなど様々な団体が、自分たちなりの方法で活動の報告をしていました。活発な活動で理想的な組織運営をされている団体。町会・自治会の活動を否定して、独自の活動をする団体。地域の構造的危険に取り組む団体など、様々な取り組みや考え方、組織作りの苦悩などを知る良い機会でした。

 

フォーラム当日のさんかく隊は、全国防災まちづくりフォーラムが、開催された「有明の丘基幹的広域防災拠点施設」の開館時間前に到着。フォーラム開催が午後からなので午前中は、ここに併設されている学習施設(1階)で『東京直下72h TOUR』(東京直下型地震72時間生き残り体験ツアー)をさんかく隊全員で体験しました 。 imgp0854imgp0833imgp08341  

さんかく隊は、ツアーの説明を聞き終わると、仮想某町デパートのエレベータに乗り込みます。ここからツアー開始です。

暫くすると地震発生。さんかく隊の命運は如何に?imgp0838 imgp0840

エレベータから降りて、デパートの外へ出ると・・・。  imgp0848

imgp0849東京湾北部・千葉・さいたま、震度6強。横浜・熊谷、震度6弱。・・・

 

さんかく隊は、何とか難を逃れ全員で脱出。・・・2階の学習施設の防災ギャラリー。映像ホールでは、『東京マグネチュード8.0(総集編)』を見て、屋上から資材・人員等を輸送するために設置された大型輸送ヘリコプター対応の臨時ヘリポート(場外離着陸場)を見学しました。さんかく隊に笑顔が戻りました。

 

大田区ホームページ:大森中・蒲田・糀谷地区防災まちづくりの会http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/machizukuri/bousai/katsudou_shoukai/syoukai/index.html

2011.02.05

創立16年目にして、初!

蒲田消防署災害時支援ボランティアとして、とても光栄のイベントがありました。

蒲田消防署災害時支援ボランティアは、平成8年(阪神淡路大震災の翌年)に創立されました。それから今年で16年目に入りました。

蒲田消防署では、当初から災害時支援ボランティアに対し年に1~2回程度、訓練を実施されました。平成14年、災害時支援ボランティアの有志が当会を結成し、翌年から自主『夜間訓練』と称して毎月第三木曜日に蒲田消防署にて、職員の指導により訓練を開始、現在に至ってます。

私は、当会事務局長として毎月の役員会が決定した『夜間訓練』の内容を担当係長あるいは主任に毎月伝える係をしてきました。また、消防署主催の訓練内容について、あるいは活動そのものについて、その時々の係長か主任と話をしてきました。しかし、署長や課長と直接お話する機会は、ありませんでした。

 

先月22日のボランティア訓練後に、『懇親会』がJR蒲田駅近くの中華料理店で会費制にて開催されました。蒲田消防署からは、署長・警防課課長・防災係係長・主任の4名。災害時支援ボランティアからは、懇親会前の訓練参加者より9名。懇親会だけ参加の1名が参加しました。

新署長は、昨年の10月1日に着任されました。災害時支援ボランティアに限らず、蒲田消防署管内の防災訓練、行事にも活発に参加され、気さくに住民や町会役員に話しかけていらっしゃいます。蒲田消防署メールマガジンをほぼ毎日発刊させ、地域に安全安心をもたらす情報を発信されています。

この度の『懇親会』も新署長の発案によるものだそうです。ボランティアの参加者は、当初緊張して署長をお迎え致しましたが、段々うち解け普通の飲み会のようでした。当会事務局は、当会のブログの紹介と『夜間訓練』で現在休止中の“リーダー養成訓練”復活をお願いさせていただきました。

『懇親会』会場の料理は、食べ放題だったので参加者全員お腹一杯食べて、心も体も大満足して、お開きとなりました。

2011.02.04

第15回 震災対策技術展・・・見学!

2月3日~4日 横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)展示ホールにて、第15回 震災対策技術展が開催されました。

初日の午後11時~『地域防災力の向上について』と題して総務省消防庁とNPO法人 都市防災研究会 共催のセミナーがありました。

講師は、総務省消防庁 国民保護・防災部 防災課 課長補佐 荒山 豊 氏でした。

内容は、1. 高齢化の進展と総合防災力への影響

     2. 地域の防災組織 

          3. 消防庁の取り組みでした。

高齢化がもたらす総合防災力の影響として、自助(身体能力の低下)・共助(コミュニティ力の低下・消防団の減少)・公助(社会保障費の増大・労働力人口の減少による税収の低下)これが総合防災力を低下させる。

地域ぐるみで真の『総合防災力』を高めるには、高齢者など、災害時要援護者も安心して生活を営むことができる地域を実現させる公助と行政と住民による消防団・自主防災組織などが、一体となった地域コミュニティの再構築による共助が重要だ。

地域コミュニティの再構築=地域の顔の見える関係づくり(防災に限らず、教育・ゴミ・防犯・防火・交通などなんでも構わない。関係づくり・顔の見える関係が防災に繋がる。)

・・・・・と、地域の顔の見える関係づくりを強調されていました。それと消防団と自主防災組織との連携促進を唱えていました。最後に消防団員の入団促進を訴えていらっしゃいました。

私は勝手に、自主防災組織による地域防災力の話かと思い込んでいただけに、消防団の強化に話が集中したのが、少々残念でした。

セミナーの後、展示会場を回っていますと陸上自衛隊・横浜消防・日本赤十字社の展示コーナーがありました。

日本赤十字社の救護所テントで説明をされていました日本赤十字社 神奈川県救護赤十字奉仕団 横浜分隊のY氏にお話を伺いました。Y氏は、中越地震の際に、日本赤十字社医療チームのボランティアとして同行され、医師と看護師が医療に集中できるよう食事の手配や雑務を請け負っていらしたそうです。また、Y氏は、神奈川レスキューサポート・バイクネットワークの役員もされています。ふたつも防災のボランティアをされるのは、難しいのではとの問いに、Y氏は、「今出来ることをするだけですよ。」と、優しく答えくださいました。

第15回 震災対策技術展         http://www.exhibitiontech.com/etec/

日本赤十字社                     http://www.jrc.or.jp/

神奈川県救護赤十字奉仕団 横浜分隊     http://vrc-kanagawa.jpn.org/

神奈川レスキューサポート・バイクネットワーク  http://kanagawarb.org/

震災対策技術展は、5~6年前から毎年見学に行っています。最初の頃、富士常葉大学の小村隆史教授から直接、『災害図上訓練(DIG)のてびき』を手渡され訓練の実施を強く勧められました。その後も、この展示会で多くの業者の方、研究者の方にお目にかかり、その後もお付き合いさせていただいている方がいます。しかし、近年内容が細分化しているせいか。個人的には規模が縮小しているような・専門的(技術展だから仕方がないけど)になりすぎているような気がしました。・・・今年は、上記Y氏に出会えたのが、何よりと感謝しております。

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