2011.01.18

蒲田消防関係団体合同賀詞交歓会

1月12日午後6時~ “蒲田消防団体合同賀詞交歓会”がありました。

これは蒲田防火管理協会・蒲田消防懇話会・蒲田防火防災協会・蒲田火災予防研究会・蒲田消防協力会・蒲田女性防火クラブ・蒲田消防少年団・蒲田消防団の合同賀詞交歓会です。

蒲消ボYは、蒲田消防協力会の個人会員です。そのため昨年、同会より案内状が届いたので、どんなものか一度見てみたくて申し込みました。また、蒲田消防署の関係団体が一同に介すなら、蒲田消防署の災害時支援ボランティアをこの会合参加者の皆様に知っていただくチャンスと心得、このことを多くの方に話しかけようと密かに計画して出かけました。

当日は、消防署の幹部の方々、関係団体の幹部の方々、蒲田消防署管内の町会自治会の町会長・自治会長と防火部長など幹部の皆さんが大勢いらっしゃいました。私のような若造(今年、4回目の年男)は、ほとんどいませんでした。・・・開催時間まで、場違いな気がしてきましたが、会場のテーブルには立食用の美味しそうなご馳走が並び、乾杯までお腹が待てるか心配でした。

大田区長(代理)・区議会議長・関係団体幹部・蒲田消防署幹部の挨拶が続きました。乾杯の後、歓談と食事時間。食べることが目的でないはないので、食事もそこそこに、知り合いから捜しました。・・・最初は、災害時支援ボランティア仲間。某町会の防火部長をされていました。その町会では、近隣4町会の防火部長が集まって会議を年数回実施しているそうです。「是非、見学させてください。」と、お願いしてきました。

次に、地元町会近隣の市民消火隊隊長を見つけました。今は防火部長も兼務されているそうです。そこの市民消火隊隊員は、全員防火部員を兼ねているそうです。ここでも「防火部の会議を見学させてください。」と、お願いしました。

某町会の婦人部長(以前、蒲田消防ボランティアの会員)が、自町会の防火部長を連れてきて、紹介してくださいました。ここでは会議だけでなく防災訓練の見学もお願いしました。

蒲消ボYが所属する市民消火隊が訓練する際に、ご指導くださる蒲田消防団第6分団の分団長と副分団長とも歓談。一昨年の地元町会の発災対応型訓練より面識のある方が、蒲田消防少年団の副団長に就任されて出席されていました。

さらに先日のどんど焼きでC級可搬ポンプ・ホース12本延長をしていた町会の会長さんともお話しさせていただきました。・・・「(12本延長を絶賛した後、)年始で忙しいかもしれませんが、どうせやるなら何町会(この地域は14町会)の市民消火隊も一緒に警備して、最後に一斉放水したら素晴らしいですね。(出初式を兼ねて・・・)」と、感想を話しました。でも、その町会長は本気にはされていないようでした。

・・・『関係団体の方々に、災害時支援ボランティアを知っていただく!』・・・という当初の作戦は失敗に終わりましたが、いくつかの町会防火部長と話が出来たことは、有意義でした。

 

災害時支援ボランティアのコーディネータは、災害時(非常時)に活動するだけでなく、平常時から地域防災と関わり、災害時支援ボランティアの活動に活かせるよう働きかけていくこと。・・・私が、コーディネータ講習を受講した際に、指導されたことです。これを実践するため私は、某町会防災会議のオブザーバを務めています。このほか“防災まちづくり協議会”にも入り、地域防災について勉強をしています。今後も、地域防災を学び体験して、平常時から“地域防災(減災)力の向上”に励みたいと思います。

2011.01.08

蒲田防災メールマガジンBy蒲田消防署 

蒲田消防署 羽田出張所には、去年の春まで蒲田消防署災害時支援ボランティア担当係長だったN司令が所長をされています。そのN所長は、過去に蒲田消防署の“Mr.住警器”と言われた元N係長その方です。

N所長には、羽田出張所着任早々『萩中町会防災訓練』に蒲田消防署の災害時支援ボランティアを萩中町会に紹介した上で、指導補助として訓練参加要請をしていただきました。また、昨年秋には、糀谷地区一斉防災訓練(西糀谷一丁目・四丁目町会合同防災訓練)にも指導補助として、訓練参加要請をしていただきました。そのお礼を申し上げるために羽田出張所を訪問致しました。

出張所の玄関前に自転車を駐車すると、羽田出張所名物の“模型の火見櫓”が目に留まりました。その前には、花壇があり半分花が咲き、もう半分は植えたばかりなのか、いくつかの花の名札が土に挿してありました。(花壇は、N所長が休み時間など、仕事の合間に丹精込めて手入れをされているそうです。)

imgp05681・・・さて、出張所内に入ろうとした時、玄関ドアに何か立て掛けてありました。それは、年末年始のお休み期間を除くほとんど毎日自宅パソコンに届く“蒲田消防署発行 蒲田防災メールマガジン”を何枚か特集にして掲示したものでした。 imgp05671

このメールマガジンは、蒲田消防署の署員の方がネタを集め交代で編集、殆ど毎日一回配信されています。内容は一般の人に、蒲田消防署署内の出来事から消防署管内の行事まで、防災・消防・救急など私たちに必要な情報などを分かりやすく提供してくださっています。そのメールマガジンの配信の公告でした。

この公告に感心しながら、中に入り受付の方に、N所長へお取次をお願いして2階事務室にお邪魔しました。N所長は、以前と変わらぬ笑顔で歓待してくださいましたので、防災訓練のお礼を申し上げたました。

その後、暫く歓談した後、N所長は昨年9月29日に前蒲田消防署署長 田中道高消防監が勇退される際に、感謝の意を表するため、当会が蒲田消防署4署所に贈呈した“蒲田消防署災害時支援ボランティア幟”を持ち出され災害時支援ボランティアのアピールをするため、「幟を持って羽田出張所の玄関先で先ほどの火見櫓と並んで写真を写そう。」と、提案されました。imgp0572

尚、蒲田防災メールマガジンの配信を希望される方は、下記の通り。羽田出張所の受付まで!imgp0574

2010.11.27

市民消火隊ポスターづくり

平成7年に発災した阪神大震災後の翌年に東京消防庁災害時支援ボランティアが創設されました。

蒲消ボYは、創設当初から蒲田消防署災害時支援ボランティアに自ら登録致しました。その5年後ぐらいに地元町会の市民消火隊に所属しました。それから10年になります。何故、災害時支援ボランティアに所属していながら市民消火隊に所属しているか?・・・市民消火隊に入隊後、町会の薦めで災害時支援ボランティアに登録された方が、最初の頃は大勢いらっしゃいました。しかし、蒲消ボYは、その逆でした。

蒲消ボYは、災害時支援ボランティアの消火訓練の時に思いました。『消火訓練は、2年に1回程度。これでは可搬ポンプの扱い方は覚えられない。どこかで教えてもらえないだろうか。・・・地元、市民消火隊の訓練を見学しに行こう!』

それから月2回の訓練を度々見学していました。すると消火隊の当時の隊長から、「君、そんなところで毎回見ているぐらいなら、入隊して一緒に訓練をしよう!」と入隊を勧められました。・・・可搬ポンプは覚えたいけど、災害時にはボランティアとして消防署に参集するから“二足のわらじは履けない”と、悩みました。

「もしも大災害が発生し、消防署に参集する状態になった時には、市民消火隊ではなくボランティアとして蒲田消防署に参集しますが、それでもよろしいでしょうか?」と、話すと、隊長は「それで構わない。そうそう大災害は、起きないから(笑)」と言われ入隊が決まりました。

入隊して10年、D級可搬ポンプ2番員・指揮者。C級可搬ポンプ2番員・指揮者・3番員を経験しました。そして念願のC級ポンプ4番員(機関員)を今年担当しました。10年経ってやっと可搬ポンプの使い方を一応体得しました。

 

さて、本題のポスターですが、私が入隊した10年前から隊員の増員は2名だけです。残念なことに1名は、体調を崩して除隊扱いになっています。私も47歳になりました。増員の2名は、現在45歳です。彼らが最年少です。つまり、この消火隊も高齢化が進んでいます。だから、ここらで若返りを図らないと高齢消火隊になるか、消火隊解散の危機が近づいてきます。この危機を打開するためにポスターを作って、町内の若年層(今回は、50歳以下)に働きかけようとなり、新隊長から私にポスターづくりの指令がありました。

一つ原案が出来ました・・・近日、ご紹介します。でも、災害時支援ボランティアである蒲消ボYは、複雑な心境です。

2010.10.11

東京臨海防災公園見学!

10月6日 東京ビックサイトで開催された『危機管理産業展』の見学に開会式の前からビックサイトの駐車場で入場開始を待っていました。危機管理産業展では、10時の開始から4時間近く会場を周り、多くの発見と出会いがあり有意義な半日を過ごしました。危機管理産業展の中に、東京臨海広域防災公園の展示もあり、そこの勧めもあったので会場を出た後、駐車場に車を残し、徒歩で『東京臨海防災公園』に向かいました。

東京臨海防災公園! ←詳細は、左の文字をクリックしてください。

この公園には、『有明の丘基幹的広域防災拠点施設』があります。これは内閣府が管理する「防災施設」です。この本部棟内の『防災体験学習施設』の“東京直下72時間ツアー”というものがありました。(入場無料です。)

 

平日の昼間だったので、閑散としていました。だからツアーと言っても一人。それがより一層臨場感に拍車をかけました。

ツアー内の街頭液晶テレビ画面imgp0074

 このツアーは、実際に体験されることをお勧めします。ここで説明すると、実際に体験したときの感じ方が半減してもいけません。だから詳細は敢えて説明致しません。場内は、フラッシュやストロボを焚かなければ撮影は自由です。・・・沢山撮影していましたが、この場でお見せするのは控えます。どうか一度見学され体験してください。

 

ツアーの結果・・・・・私の東京直下地震発生後72時間後の生存率80%!

果たして実際は、如何でしょうか?

 

災害時支援ボランティアは、発災直後から自発的に消防署に参集して活動を開始するように言われています。倒壊家屋等に閉じこめられた人の生存率は、72時間後に急激に低下すると言われています。私たち災害時支援ボランティアは、その時に自分たちができる能力を最大限に活かし、消防署の指示する方面で活動を行います。

だから上記のような災害に見舞われても、無事に生き残ることが大切です。そして家族の安否が確認できたら、できるだけ速やかに災害時支援ボランティアとして活動できる準備を整え、消防署に参集し活動したいと思います。

2010.09.08

当ブログが、全国放送で放映された・・・・・?

p9084789

9月5日朝7時30分TBSテレビ“がっちりマンデー”という番組で、当ブログの写真が採用されました。

放映の3日前の晩、蒲田消防署よりメールが入りました。「蒲消ボのブログの写真の件で、至急話したいことがある。電話をください。」と、書いてありました。

・・・・・何か、映してはいけないものを掲載した件で、苦情を言われるのかとビクビクしながら電話をしました。

すると、K主任が笑いながら、「TBSテレビから消防署に電話があって、『今月5日朝7時半~8時TBSテレビ“がっちりマンデー”にて、蒲消ボブログの写真を使いたいが、どうかと打診があった。ブログに連絡先がなかったので、消防署に電話がかかってきた。問題ないね!人も写ってないしね。」

番組の内容は、お米の炊き方の歴史とかで、防災には何の関係もないようでした。でも、蒲消ボのブログの一部がテレビ放送に採用されましたので、正直うれしいです。多少でも、世の中のお役に立てたようです。

尚、その写真はブログ記事2009年8月 8日 「日頃の活動を防災に活かそう!」の5枚目の写真←大型ガス炊飯器とガスボンベです。たぶんテレビ局にも、取材された企業にもガス炊飯器の写真がなく、ホームページを探したら、当会のブログを見つけたのでしょう。

2009.08.08

日頃の活動を防災に活かそう! 

↑上の文字をクリックすると、2009年8月8日のブログの記事が見られます。

p90847901

がっちりマンデーの放送内容は→http://www.tbs.co.jp/gacchiri/archives/20100905/1.html

 

 


 

2010.07.17

東京臨海防災公園!

7月1日 東京都江東区有明三丁目(りんかい線有明駅・ゆりかもめ有明駅下車/癌研有明病院隣)に『東京臨海広域防災公園(有明の丘基幹的広域防災拠点施設)』という公園が開園しました。

(以下、東京臨海防災公園ホームページ http://www.ktr.mlit.go.jp/showa/tokyorinkai/index.htm より抜粋です。)

東京23区内で震度6強の地震があり、激甚な被害が発生していると認められた場合に 閣議決定にて首相官邸内に緊急災害対策本部が設置されます。そしてこの有明の丘基幹的広域防災拠点施設に災害現地対策本部が設置されます。この施設は内閣府が管理する「防災施設」です

この東京臨海防災公園(有明の丘基幹的広域防災拠点施設)の本部棟内には国土交通省が管理する、防災体験学習施設があります。ここは学習施設・体験施設に分かれ体験施設には“東京直下72h TOUR”という体験ツアーがあります・・・・・・・“組織的な救助活動がおこなわれるのは、地震発生のおよそ72時間後と言われています。では救助が困難なその72時間を生き残るためにどうするか。首都直下地震の発災から避難までの一連の流れを体験できるツアー・・・・・。
 

以上は、ホームページからの抜粋です。まだ、見学に行っていません。それもそのはず、私は東京法規出版さんが発行された『bside7月号』を拝読して初めてその存在を知りました。

 

東京消防庁災害時支援ボランティアとして身近に、直下型の地震に対応するすべを学び訓練できる施設が出来たことは、喜ばしいことです。そしていつか起こる大地震に直面したときに、その場所にそれがあることを確認しておくことは、必要と思います。上記に、『組織的な救助活動がおこなわれるのは、地震発生後およそ72時間後』とあります。しかし、生き埋めになった人の生存率は、72時間後から急激に下落すると言われています。直下型地震でも生き残り、家族を守り、そして多くの人たちを助けるために、この施設で学びたいと思います。

 

『東京臨海広域防災公園(有明の丘基幹的広域防災拠点施設)』

・・・でも出来ることなら、この公園と施設は訓練として使用するだけであってほしい。実際に使われることの無いことを願います。もし、使用されることがあってもそれが最小限であることを切に願います。

2010.07.17

会報『蒲消ボ』を読んで!・・・その1

dscn01672←2003年9月18日 夜間訓練

↑O係長による応急救護訓練指導の様子

 

 

 

 当会事務局では、平成14年7月に創立して以来今日まで、会員との連絡にはメールとファックスを使用しています。

特にメールでは、単に訓練の案内や連絡ばかりでなく、防災関係の展示会や各地の防災訓練の情報などを『蒲消ボメール通信』として、発信してきました。

会創立2年後に会報を作成。創刊準備号1・2号と創刊号などを発信していました。

会報の編集には、事務局がそうとう苦労したようで結果、創刊号後の会報は続きませんでした。さらに2年の歳月が流れ、このブログが発信されるようになりました。

今回、蒲消ボYは、事務局が苦心した創刊準備号と創刊号を読み返し、現在に至るまでの当会の苦心などを見直してみたいと思います。

以下は、掲載当時の文章です。(当時は、消防職員・会員の氏名を実名で掲載していましが、この文章の中では、頭文字のみとします。 

2003年10月16日 夜間訓練→dscn03221

    S主任のロープ結索訓練の様子↑

******************************************************************

【速報!】

《夜間訓練》

九月から、夜間訓練は毎月第三木曜日の午後七時からと決まった。

 夜間訓練は、第一期では一回、第二期では八回実施した。

今期は、まだ開催されていないが、七月の署主催訓練後の会議で、上記の通り、毎月第三木曜日に消防署一階防災教室をお借りして『夜間訓練』を行うことになった。第一期第二期は、応急救護を三回ロープ結索を6回。講師は応急救護を警防課の係長のO司令、ロープ結索は主任のS司令補が務められた。 

 今まではO係長、S主任の泊まり勤務の日に開催してきた。しかし、それでは日程がなかなか決まらず、会員への連絡も大変だった。そこでO係長、S主任のご尽力で、今後は定期的に日程を定め、O係長、S主任のどちらかが勤務の日は勤務の方に、お二人ともお休みのときは、『蒲消ボ』の役員が、交代で訓練を指導する。また、会員の個人装備の展示や意見交換など『蒲消ボ』の独自の勉強会なども開催していく。

消防署はテロ警戒で入館が厳しく制限されているにも関わらず『蒲消ボ』に協力してくださる。それに私たちは訓練を重ねることで応えていきた(平成16年 会報『蒲消ボ』創刊号より抜粋)

2010.03.10

大好きなキュータ君と敬礼!



大好きなキュータ君と!
(車のキーホルダーは、身長10cmのキュータ君)

蒲田ファイヤーフェスティバルに、キュータ君が来ました。

2010.01.04

チームとして身につけたいこと!

 東京消防庁災害時支援ボランティアを登録しますと、最初に普通救命講習を受講します。
その後、ボランティア講習を受講します。(救命講習修了者は、ボランティア講習のみ)その時、初歩的な
指導があります。
その後は1年間に2~3回程度、総合的な実動(救命・救助・救護・消火・搬送などの)訓練がありますが
、チームとして必要な活動を学ぶ機会は、なかなかありません。
 防災や災害後の一般的ボランティアは、災害後の被災者の住居などの復旧や復興のボランティアが主な
活動ですが、東京消防庁災害時支援ボランティアは、発災後72時間(3日間)が主な活動時間です。
そのためには、参集後短時間でチーム編成を行い、短時間に情報を収集し、短時間に現場に向かい活動を
することが必要です。
だから災害時支援ボランティアとして身につけておかなければいけないこと。それを学び、実際の災害時に
いつでも活用できるように日頃からの訓練が重要です。特にリーダー、コーディネータはこれを理解していな
ければ、いけません。
そのためには以下の3点を学びたいと思います。
1,ボランティアの役割分担とチームの任務、2,参集時のチーム編成、3,消防の求める情報収集。

 
1, コーディネータ ・ リーダー ・ ボランティアの役割分担

  コーディネータ、リーダー、ボランティアの役割分担を明確にすること。
 それぞれの役目に自覚と責任、誇りと安全意識を持たせるような指導と訓練をしたいと思います。
 当然、コーディネータは、リーダーとボランティアを兼務出来るように。リーダーは、ボランティアを兼務出来
  るようにすると同時にコーディネータの任務も出来るようにしておきたいと思います。そのために蒲消ボで
 は、ボランティアにリーダーになることを勧めています。そしてボランティアには、リーダー養成訓練に積極
 参加を求めています。

  また、コーディネータは、リーダーとボランティア。リーダーは、ボランティアに消防署から与えられた任務
 を指揮(説明と指示)する訓練。それとチームの安全管理者として自ら進んで行動するのではなく、チーム
 全員の安全を図りながら、チーム活動を円滑に進める訓練を何度も繰り返す必要があります。
 

2,  災害時の参集チーム編成
 
  現在、蒲田消防署の災害時支援ボランティアでは、参集時にチーム編成に必要な人数が確保できない
 ので、必要なチーム名の下に、参集者が自分の名札を貼り必要人数が確保されたチームからリーダーを
 当てはめて行く方法をとっています。それは参集者が少人数と分かっている場合には、有効かもしれませ
 ん。しかし、もし参集者が登録者263名のうち半分或いは1/4でも、次から次に参集するようでは、ホワイ
 トボードの前は、人だかりが出来てしまいます。収拾がつきません。
 コーディネータの方も苦心していますが、それを皆で助け、短時間に解決する方法を学びたいと思います。 
 
 ★消防職員や消防団員のみなさんは、常に参集訓練をされ隊員団員の顔と名前、階級を理解して初動
 体制を構築されるでしょう。しかし、私たちは蒲消ボ会員以外の顔、名前、資格、特徴(性別・年齢・特技・
 趣味)など何も知りません。その知らない人間同士からチーム編成をしなければいけないのは、容易では
 ありません。
  
3,消防署が求める情報収集

  ボランティアマニュアルにもありますが、実際に情報収集を行う場合、何のどこを見て、どのように報告
  すれば良いでしょうか。基本は、5W1Hでしょう。でも見聞きしたものを、正確に伝えるのは容易では
  ありません。消防署に伝え、ボランティア本部にも報告します。そしてその情報を実際に地図に落と
  します。また、時系列で掌握する方法などを学ぶことが必要だと思います。


以上、3点に関しまして蒲田消防ボランティアの会を通じまして、蒲田消防署にご指導を仰ぎたいと存じます。

********************************************

“蒲田消防ボランティアの会”より、上記の2,に関してお知らせ!

 蒲田消防ボランティアの会では当会創立以来からY氏を含む役員会にて、チーム編成に関し検討を重ね
試行錯誤の末、簡易的に参集者の資格や特徴を掴んでチーム編成が出来る方法を作りました。
 
各ボランティアが持っている救命法の資格や特技、趣味或いは職業を活かし、それを適材適所で運用すれ
ば、支援現場での活動は飛躍的に向上すると思います。そのためには消防署に登録している全ボランティ
アから事前に、職業や資格特技、趣味など公表できる範囲を報告してもらいます。さらに各ボランティアが、
支援活動時にどのチームとして活躍したいか第二あるいは第三希望まで伺います。以上を表にまとめてお
きます。すると参集時に来署を確認すると同時に、そのボランティアの職業や専門知識、資格と、どのチー
ムを希望するかを把握できます。リーダー、コーディネータの役目を担う人も予め表の中に入れておきます。
後は、消防署が求めるチームに編成し易い表が付いているのでそこに当てはめていきますと、表の下段に
必要チームが出来上がるようになっています。
 
 平成16年の消防署主催参集訓練で2回ほど使用してみました。しかし、参加者不足と情報不足、説明
不足で、役立ちませんでした。その後も消防署の受付に置いてある“ボランティアボックス”の中に入れて
ありますが、情報はその後も集めることが出来ず、そのままです。
 ただ、当会ではそれと同時に作成した情報収集カードや資料作成シートの改良を図りました。その結果、
情報収集後に情報を伝達するシートを手書きで写すのではなく、複写シートを使用して一回で2枚に書く
方法や、出来る限り容易に伝達する方法を考案する努力を続けています。
 
 消防署の参集訓練は、事前にハガキや封書で参加者を募っています。その中に、このような任意で情報
を記入するような用紙を同封していただき、災害時の発生前に事前調査が出来れば情報の不足が解決で
きると思います。それも一度限りにせず、毎回提出してもらうことによって、各人の情報や希望もより最新の
ものになり、より正確な適材適所に役立てることが出来ると思います。

 これからも改良を重ね実際の災害時に参集するその日までには、どのボランティアが参集してもすぐに
チーム編成に取り掛かれる資料を創り出したいと思います。
そのためには、蒲田消防署の指導を仰ぎながら多くのボランティアと相談して事にあたりたいと思います。
 蒲田消防署の災害時支援ボランティアに限らず、多くの方にお知恵を拝借出来れば幸いです。 
                                
                                   “蒲田消防ボランティアの会” 事務局長 K                                         

 

2009.11.25

父から最後に学んだこと!

父が、入院したのは平成5年12月31日でした。明けて平成6年1月9日父は他界しました。
大正13年生まれの父は、大学受験を二浪して、旧商船大学に入りました。中学高校時代の学友の多くは、戦場で亡くなりました。父は、2学年遅れていたので学徒出陣を免れましたが、学生時代は海軍特務少尉という階級が与えられ、いつでも戦場に行く覚悟の日々だったそうです。
戦後、父は商船大学を卒業し、日本有数の船舶会社に就職。主に外国航路の貨物船を担当しました。三等航海士から二、一と上がり船長になりました。「日本の国交のない国と海岸線の無い国以外は全部行った。」と、言っていました。50代で船を降り、港湾関係の仕事に就きました。退職後は、放送大学に入り69歳で亡くなりました。


父は、朝起きる梅干しと日本茶を口にしました。それ以外は、昼食から寝るまで焼酎を飲み続けていました。50代の時に胃潰瘍になり胃の2/3を取り除き、栄養が殆ど取れなくなりました。だから医者から「酒で栄養を取れ。」と言われたとかで晩年は殆ど酒ばかり飲んでいました。


そんな父の様子がおかしいと聞いて父の家に行きますと、意識の朦朧とした父が布団に横たわっていました。母と相談し、救急車を呼ぶと救急隊員から「何故、もっと早く病院に運ばなかった!」と叱られました。しかし、父は病院が嫌いで、何度言っても言うことを聞いてくれませんでした。
そして入院後一週間が過ぎようとしていた時、病室に付き添っていた母から「呼吸が止まった。」と、連絡が入り急いで病室に入りますと、ベットの上に隅に座って病院の食事をする父がいました。
父は、その食事を全て食べ終えると手を合わせ「何て、美味しいんだろう。こんなにおいしいものがあったんだ!」と笑顔で言いました。
そこへ医師が来て私に「もう一度、呼吸が止まれば回復の見込みは無いでしょう。ただそれが今あるのか。明日あるのか。一ヶ月後か。一年後か。それは分かりません。」と、言われました。


取り敢えず父の意識も戻り食事もしていますので、一度帰宅することにして病室を出ようとした時、ベットの片隅から母の叫び声が聞こえました。それは、父の急変を知らせるものでした。母は、私を病室に戻しナースセンターに駆け出して行きました。私はナースコールを何度も押しましたが、返事がありません。父は、両手を反らせて苦しそうでした。その当時の私は、背もたれ状態なっているベットを倒して気道確保をすることも知らず。心肺蘇生法も知りませんでした。どうすることも出来ない私にナースセンターから医師と看護師、そして母が戻ってくるのがとても長く感じました。


医師は、両手で胸部圧迫を開始。私は、看護師に病室の外に追い出されました。廊下から見ていますと、まるで映画のシーンを見るように病院用のAEDの黒いパットを手で何度も押しあてている医師の姿が見えました。私は、それを見ながらひたすら祈ることしか出来ませんでした。


その後、父は一週間昏睡状態を続け1月9日に肝不全で眠るように息を引き取りました。


父の亡くなった翌年の1月17日に阪神淡路大震災が起きました。その後、災害時支援ボランティアの募集があり、登録。最初のボランティア講習で初めて普通救命講習を修了。その後、何度か再講習を受講しました。その間、心肺蘇生法も何度か改正がありました。そして平成14年 蒲田消防署のボランティア有志が、「蒲田消防ボランティアの会」を立ち上げました。当会は、災害時支援ボランティアを広めるためと、一般の人に応急手当てなどを体験してもらうため、各地の防災訓練に消防職員と同行し、職員の指導補助などを繰り返してきました。


私は、三角巾や消火器などの説明は出来ても心肺蘇生法を任されますと、父に何も出来なかったあの日の事が思い出されて手が動かなくなりました。だから何らかの言い訳をしてその場を逃れてきました。理由を知る仲間から、励まされてもどうしても出来ませんでした。


そんな私に転機が訪れたのは、心肺蘇生法2005年ガイドラインでした。
従来の2000年ガイドラインにもAEDはありますが、それよりも蘇生の手間が簡素化され、出来る限り早く胸部圧迫を行い脳へ血液(酸素)を送ることの重要性を知りました。また簡単ではありますが、やり方を間違えれば効果がないことも理解できました。


もし、今また父と同じような状況に遭遇したならば、医師や看護師、救急隊員が来るまで気道確保と心肺蘇生法を実行することが出来ると思います。出来なければいけないと思います。それを父から私は、最後に学んだような気がします。


今週、親族の事情で命日より一カ月半ほど早い、父の十七回忌があります。


前回の十三回忌には、まだ心肺蘇生法の指導補助として説明したり実演することに躊躇いがありましたが、これからは多くの方にお話ししていきたいと思います。


近い将来、応急手当普及員になり、指導補助でなく、正式に指導が出来るようになりたいと思います。
 

« 前へ | 次へ »