12日 (前日のやり取りは、『報告:大地震、その時!①』をご覧下さい。
8:00頃 事務局Kn、帰宅。
8:12 事務局Knより、会員に地震直前・直後の対応や感想をメールにて募集開始!
8:21 Kw氏 「ご苦労様でした。町内は無事でした。南蒲小学校は避難した方がいましたが、みんな帰宅し、児童たちは避難し、気を付けて皆さん避難することが出来ました。学校、保育園は大変良く訓練されていて、機敏に対応していました。大丈夫です。後で消防署に報告をしてきます。Kw」
12:39 Sm氏 「無事帰宅されたようで、なによりです。さきほど蒲田署に別用もあったためうかがってきました。やはり蒲田管内に大きな被害はないようです。ボランティアも来たとしてもやることは特段無いようです。緊急援助隊に人員を出した関係で、3部制を2部制に切り替えるんだそうです。(3チーム交代を2チーム交代に切り替える)」
「なんとも、こんな時に何ですが、Smの身の回りは至って普通であります。帰宅直後の地震発生でした。ただ、自宅付近の震度は5強ではなかったようです。自宅(普通の木造3階建)にも何にも被害はなく、ライフライン系も普通通りでした。ただ、家内が帰宅できない(無理には帰宅させなかった)状況でした。ただ、朝(4時過ぎ)に東京メトロと東急の終夜運転を確認し、いつもより大回りで帰宅しました。渋谷での乗換はやむを得ないとして、横浜駅手前で降りるようにして車で迎えに行きました(蒲田救急のSm次席と話しましたが、大きなターミナル駅を避けたのは正解のようでした。万一の際に混乱に巻き込まれかねないので…)」
「もう一つは、夕方前近くのコンビニに飛び込み少しでも調達、と思いました。幸い、若干のおにぎりやお弁当が残ってましたので、夕食と今朝の朝食はまかなえました。コンビニの前はたくさんの人が歩いてましたが、コンビニは混んでいませんでした。こんな風に先行きの見えないときは、早めの食糧確保も必要かと思いました。とりあえずの物が確保できれば、備蓄品に手を付けるのを遅らせることができます。幸い停電もありませんでしたが、情報源としてはラジオのほうがタイムリーのようです。」
「(勤め先の)空港に特段の被害はないようですが、夕方あたりにちょっと行ってみようと思ってます。」
14:33 Kw氏 「今、消防署に報告してきました。入口にボランティア書類と机、椅子が置いてありました。参集しなくて良かったのかな。Kw」
14:53 事務局Kn 「お疲れ様です。(災害時支援ボランティアの)参集のルールは、(蒲田消防署管内で)震度6弱以上(または大災害発生)ですから参集の必要はありません。ルールを知らない署員が混乱しているのでしょう。消防署の職員(参集)のルールは、震度5。それと勘違いされているのでは?」 「又、Smさんが蒲田消防署に別件で行きました。Myさんは羽田出張所に出向き待機しました。ほかにも参集した人が、いたかもしれません。でも、蒲田消防署管内では災害時支援ボランティアの必要はないので、帰宅させられていると思います。気にされることはないと思います。」
「今後、余震で震度6弱や蒲田消防署管内で大災害があれば、自主参集してください。私も今日と明日の午後は、自宅で待機しています。蒲消ボ Kn」
14:54 Kw氏 「了解!Kw」
15:13 事務局Knは、蒲田消防署災害時支援ボランティア担当Ym主任と羽田出張所Nk所長に、ボランティア参集ルール確認のメールを発信しました。
事務局Kn 「お疲れ様です。先ほど災害時支援ボランティアのKwさんが、別件で本署に伺いました。すると、署内にボランティアボックスと机、椅子があったと報告を受けました。」
「災害時支援ボランティア参集のルールは、震度6弱以上ですから参集の必要はないと心得、蒲消ボ所属のリーダー、コーディネーターは参集していないと思います。私は職場の都合で朝8時に帰宅致しました。」
「昨日、Myさんが羽田出張所に出向き、待機しました。本日、当会所属のSmさんが別件で消防署に伺っています。外にも参集した人が、いたかもしれません。」
「今後、余震で震度6弱や蒲田消防署管内で大災害があれば、自主参集致します。蒲田消防署も3部から2部体制に移行したと伺いました。ボランティアが必要な場合は、お声かけください。蒲消ボ Kn。」
15:50 羽田出張所 Nk所長より 「了解しました。緊急消防援助隊として東京消防庁の車両人員が宮城岩手に出場したことから2部編成で運用することになりました。蒲田本署のポンプ2隊も出場しました!」
17:51 Sz氏 「Knさま。無事帰宅のお知らせ、よかったとホッとしています。お疲れさまでした。」「昨日3/11(金)地震発生時は蒲田税務署で仕事をしておりました。すぐに静まると思っておりましたが、時折強く揺れ、申告客は中腰で周囲に両手で掴まっていました。」
「2Fにいた50人位は「地震だ」「長いね」「強いね」ととても不安な顔をしていました。署長・統括が「大丈夫でしたか」と安否を気遣ってくれました。エレベーターがストップなので階段を利用の案内もありました。室内は落下物や崩れた物はなかったです。気分が悪くなり吐き気のある人が3,4人いました。1Fに降り外へ出ると駐輪100台くらいの内、30台位が倒れていました。」
「帰宅途中外に出て外の様子を伺っている人や携帯電話をしている人も多くいました。あちこちから救急車やサイレンが聞こえていました。」
「自宅に帰るとまだ飾ってある7段ひな飾りの人形が落ちて散らばっていました。金魚の水槽の水もこぼれてフロアーを濡らしていましいた。テレビの上のCDも花瓶も飛び散っていました。お風呂の水もこぼれていました。」
「娘たちに安否のTELをしましたが繋がらず、嫁にするも繋がらず、固定電話にするとやっと話しができ、ひと安心。孫が世田谷の私立中学校へ遠距離通学のため、電車がストップで迎えの要請があり車で行きました。太い道路は大渋滞のため避け、神奈川方面への道路も避け学校に着きました。通常40分位だが、今回は3時間かかった。教室には帰宅できない生徒が1クラスに13名いた。帰途中、沿道には人が数珠つながりで歩道橋を渡る人も沢山の人人人。夜9時頃なのに徒歩帰宅であろう。飲食店、コンビニに、ファーストフードも満員の盛況振り、東名用賀入口は封鎖、解除を待つ車が繋がっているが、エンジンを止めライトも消していた。 Sz。」
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以上、3月11日~12日の間、蒲消ボ会員と事務局。消防署員とのやり取りと、地震直後の緊迫した様子の報告。感想などを掲載致しました。(個人名や個人的な内容は改名と一部省略致しました。)
今後も、会員だけでなく周辺の方々から、地震直後の行動や様子、感想を伺い、将来の対策や活動に活かして行きたいと思います。
今現在、余震が続いています。
今以上の被害の拡大がないことを祈念致します。
また、この大地震で被害に遭われ亡くなられた方々に衷心より哀悼の意を捧げます。